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今年は"松坂世代"と称されているように有望選手に恵まれている。当然、不景気の世間に反して札束が舞っている。

そんな中で私が注目している選手は、日大のスラッガーである村田修一だ。縁あって、私は、日大入学当時から現在まで4年間、彼のプレーを見てきた。
この4年間に村田は、東都大学リーグ史上2位タイの通算20本塁打をマーク。3年生の秋のリーグ戦ではダイエーの井口資仁(青山学院大)に並ぶシーズン最多本塁打8本を記録する一方、4年間で通算103安打とし、歴代6位タイの活躍を見せた。
もちろん、村田獲得のため多くのプロ球団が群がった。巨人も破格の条件を武器に獲得に乗り出してきた。

しかし、村田は巨人入りに首肯することはなかった。村田は、その理由を私に強い目で説明した。

「自分に対する巨人の姿勢は、最後まで『指名するから入団してくれ』でした。これでは納得できません。しかも、初めは自分と早稲田の和田を獲りにいく、みたいな感じで新聞に発表していた。
ところが、和田がダイエーに内定すると、東海大の久保、亜細亜の木佐貫の名前を出してきた。久保は自分と同じ福岡生まれ。負けちゃいられないし、首都大学リーグ戦なら自分が投げても抑えられると思っていますから。
それに、巨人は、最後は東北高の高井雄平、高校生の名前まで出してきた。
じゃあ、自分は何番目の選手なんだ?そう考えるのは当然です。あくまでも自分は1番にこだわりたい。子供の頃から自分は、お山の大将でいたいと思っていました。
そんな自分を理解してくれたのが横浜です。だから、自分は横浜に自由獲得枠の1番で入団することに決めたんです。」

横浜入団を決める際、日大野球部監督の鈴木博識は、村田に、「お金にこだわることも決して悪いことではないぞ」といった。しかし、村田は、鈴木にも私にもはっきりといった。

「監督さん、それに、岡さん。自分はお金で動くようなヤワな男ではないです。お金は入団後に活躍して稼ぎます。だいたい自分は巨人が嫌いです」