ボクシング経験のない山根会長が連盟の頂点に立てた理由

・70年代学閥と東西対立でグッチャグチャだったボクシング連盟で事務室を率いて折衝や段取りを地道にやっていた
・80年代に理事に就任、事務室を事務局に昇格させて組織を強化、実務的なことは全部彼と彼の部下が仕切る
因みにその他のボクシング上層部は派閥争いに終始してた

・90年代に西日本派の派閥の後継者になると東日本派との和解を推進
実務的なことを全て山根率いる事務局が仕切っていたため東日本との関係は個人的には良好なので
あっという間に東西の派閥は解消された

・2000年代に入ると国際連盟、アジア連盟の要職に就任、これまた実務的な面で力を発揮してた
この頃になると日本連盟の上層部は名目形式的なものになり事務局と山根が連盟を完全に掌握する

・2011年に会長就任、もうボクシング連盟は既に山根の独裁体制は確立していた