【野球】 PL学園野球部廃部から2年、OB・立浪和義氏の今の思い
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全国屈指の激戦区といわれた大阪では、1960年代から1980年代にかけて、私学七強がその覇を競い合う戦国時代があった。
興国、明星、浪商(現・大体大浪商)、近大附属、北陽(現・関大北陽)、大鉄(現・阪南大高)。そして、全国制覇7度を誇るPL学園──。
かつて甲子園を沸かせたいずれの私立も、甲子園から遠のいて久しい(2008年夏の近大附が最後)。没落した七強の象徴が、2年前に野球部が消滅してしまったPL学園だろう。
「僕らの時代は甲子園を勝ち抜くことよりも、大阪を勝ち上がることの方が難しかった」
そう語るのは、中日ドラゴンズで活躍した立浪和義だ。1978年に“逆転のPL”で初めて夏の全国制覇を果たし、2学年上にあたるKK(桑田真澄、清原和博)が甲子園に連続出場していた当時、PLは黄金期を迎えていた。一度は大商大堺への進学を決めていた立浪は、高校受験の土壇場で、どこより生存競争の厳しいPLに進路を変更した。
「当時、PLには選ばれた選手しか入れなかった。そのPLに声をかけてもらったのだから、行くしかないな、と。僕らは桑田さん、清原さんらのチームと比較されていましたから、負けられないというプレッシャーは常にありました」
立浪が主将となった1987年、PL学園は春夏連覇を達成する。野村弘(弘樹に改名)や橋本清ら、3人の投手を惜しみなく投入し、圧倒的な戦力で日本一を達成した。複数投手制を敷いた戦いぶりは、現代野球の先駆けといえる。
その後、KKや立浪、福留孝介らがプロで活躍する一方、PL学園の母体であるPL教団は、野球部の後ろ盾でもあった2代教祖・御木徳近(1982年逝去)という求心力を失い、それに伴う信者の減少によって、野球部への支援は以前より減ってしまう。
2000年代に入ると、度重なる不祥事の発覚によって、PL野球の背景にある理不尽な先輩・後輩の関係、暴力体質が明るみに出て、信頼は失墜した。全国の球児のPLに対する憧れが、1990年代以降に台頭してきた大阪桐蔭や履正社に移っていく。
>>2に続く
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180731-00000002-pseven-spo&p=2 「厳しい上下関係はPLだけでなく、どこの学校にも、どんな部活動にも少なからずあったと思うんです。行きすぎた行為は許されませんが、スポーツの厳しさの中から学ぶことはある。最近は厳しい指導がやりにくい世の中になった。スポーツって、根気よく練習しないとうまくならないじゃないですか。それと一緒で、先輩・後輩の厳しさの中から我慢を覚えることで、社会に出た時、理不尽なことに遭遇しても、耐えられる人間を育めると思うんです」
2013年にも、3年生の2年生に対する暴力事件が発覚し、6か月もの対外試合禁止処分が下る。事件当時、PL学園の2年生だったのが、今秋のドラフト上位候補である中川圭太(東洋大4年・主将)だ。彼自身はレギュラーとして試合に出場していた。当時をこう振り返る。
「PLのユニフォームを着て野球がしたい、甲子園に出たいという気持ちで入学したのに、ユニフォームを着られない悔しさはあったし、何のためにここに来たのか、という思いは抱えていました。6か月は長かった」
最後の夏を経験できなかった先輩は引退し、中川が主将となってスタートした新チームの監督には、野球経験のない当時の校長が据えられた。この頃から教団は、廃部へ舵を切っていた。
最後の夏、中川はセカンドを守りながら守備隊形を指示し、攻撃時はサインを出していた。チームは大阪大会の決勝まで進出し、大阪桐蔭と対戦した。
「実質、監督がいない中で、自分が監督の役割を担うことで、野球そのものを学べた。甲子園には出場できませんでしたが、僕はPLの野球部で良かったと思うし、だからこそ今も野球を続けられているんだと思います。目標とするプロに遠回りしたとは思っていません」
これまで81人のプロ野球選手を輩出したPL学園だが、立浪は「現役選手がいなくなっていくのが寂しい」と吐露し、PLの名が忘れられてしまうことを危惧していた。この秋、“82人目”は誕生するだろうか。(文中敬称略)
●取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター、『永遠のPL学園』著者)
※週刊ポスト2018年8月10日号 >>1
あんたの世代の責任もデカイだろが。
殺人同様の死亡事故起こしてる。 立浪は一年生から特別扱いだったらしいな。
実力があったからかな? PLは不祥事に対して毅然とした態度で対応した
日大はご覧の通り >>2
> 最近は厳しい指導がやりにくい世の中になった。スポーツって、根気よく練習しないとうまくならないじゃないですか。
> それと一緒で、先輩・後輩の厳しさの中から我慢を覚えることで、社会に出た時、理不尽なことに遭遇しても、耐えら
> れる人間を育めると思うんです
暴力肯定 野蛮人の思考やね カタギにまったく見えないけど、三年の時に風習改革してるんだっけこの人 世間騒がす週刊誌ぶっぱから関係者OB達が庇い支援しても覚醒剤我慢できず逮捕有罪なって甲子園記念館から展示していた道具を撤去返還された超有名OBがいますね 21世紀に入ってから毎年、不祥事発覚でロクに対外試合すらできない感じだったけど
あれ、原因があったのかね? 厳しい規律がなくなってタガが外れてしまった? どうせヤクザばかり作るんやから廃部のままでええやん >>7
バックにヤクザがいるからとかいう理由をどこかで見た気がする >これまで81人のプロ野球選手を輩出したPL学園だが…この秋、“82人目”は誕生するだろうか。
2年前に野球部が廃部になったのを考えると、大学や社会人にPL出身者はいるわけだが、
どう考えても廃部直前のPLにプロになれそうな選手なんているわけないだろ。 2014年の大阪大会決勝はPL学園のOBと大阪桐蔭のOBが応援に来ていてスゴかった
素人の監督でも決勝まで出て来たPLはすごい
信者が減ったのが衰退の最大の原因だろう どこの学校でもレギュラーは下級生に理不尽な事はあまりしない。
ベンチに入れない上級生がダメ 中村が辞めてから不祥事連発。
多分、ずっといた腕利きのトラブル揉み消し屋が
去って、中村も泥船から逃げたんだろな。 比較すべきは「僕らの学生時代」じゃなくて「今のサッカー」だからな
少年サッカークラブやサッカー部が和気あいあいと楽しそうにしてるのに
野球は監督が怒鳴り散らして子供を恫喝してるみたいなイメージだから
野球少年がどんどん減っていくんだろ >>18
自分の学校の校歌ろくに覚えてないけどPLの校歌は歌えるよな >先輩・後輩の厳しさの中から我慢を覚えることで、
社会に出た時、理不尽なことに遭遇しても、耐えられる人間を育めると思うんです
社会に出た時、理不尽な目に合わせるのがこういった異常な体育会系の人間が殆どだという事実 立浪はまあ真っ黒だけど、高校時代に飛び抜けて悪かった牛島は今では良いイメージだよね。
二人ともドラゴンズの監督になって欲しかったな 清原立浪片岡野村のアウトレイジ画像
本職にしか見えん 桑田も結局は在学中から企業に色々とさせてたということだからな
学校法人の一部として野球部がそもそもイカれてたんだろう >>2
まぁ、体育会系の習わしを肯定したいのはわかるが、
そういうのを若いうちに経験して大人になってクレーマーになっているから。 >>35
清原がいい例だな。
PL1年生のとき、相当ひどいいじめにあったらしいが
結果、理不尽に耐えられる人物どころか
理不尽を与える人物になって最後は覚醒剤で逮捕。 蔦監督率いる池田高校を7−0で封じた試合は圧巻だった
当時はどちらかと言うと池田のほうが人気があったがこの試合が転換期になったと思う
このあと池田は失速しPLが全盛期を迎えた >理不尽なことに遭遇しても、耐えら れる人間を育めると思うんです
凄い、奴隷根性を自慢してる・・・ 理不尽に耐えられる人間を作るとか言ってる体育会指導者いるけど
そこで異常な指導受けた奴らが社会の至る所で新たな理不尽作り出してるんだから
公害垂れ流してるようなもんだわな >>44
桑田が水野からHRだもんなー
早生まれで中3みたいな体つきで。 清原はムリだけど立浪が監督すればいいじゃん
そうすりゃ桐蔭のデブ監督より知名度あるからいい選手くるだろう 清原はムリだけど立浪が監督すればいいじゃん
そうすりゃ桐蔭のデブ監督より知名度あるからいい選手くるだろう >>14
PL歴代最高のキャプテンとか言われてるらしいな >>35
本当に強い人間なら、理不尽を改革して減らしていこうとするよな
ただ耐えてやり過ごすだけじゃ、後輩たちも同じ目に合うわけだし 日大アメフト事件でも話題になったとおり、
体育会で暴力が支配してるのは過去の話ではなく現在進行形の事実
PL学園が特殊だと思ってるなんかバカがたくさんわいてるな 日大アメフトでは
生徒同士ではなく、監督やコーチが選手に日常的に暴力をふるっていた
選手は血だらけになっていたそうだ バトルスタディーズ読んで面白かったけど
そもそもバトルスタディーズってどういう意味なん? >>51
何でドラゴンズで指導者ができないのか、
その理由を察すれば、高校野球の監督なんて絶対に無理だろ。 PLOBって大半が精神未熟なまま大人になったチンピラ崩ればっかりじゃないか
どんな教育されて来たんだと思うよ 後輩には異常なまでに厳しくて先輩にはどこまでも米搗きバッタな歪んだ人間が出来上がるだけ 立浪の次の中日ドラ1は大阪桐蔭の今中だった
あの頃はPLが没落して大阪桐蔭無双時代になるとは思わなかったな >>65
「教祖の誕生日には花火をいっぱい上げなさい」 >>45
78年夏準決勝中京戦が最大の逆転劇だろ
準決勝9回裏に0-4を4-4にし延長でサヨナラ
続く決勝でも9回逆転サヨナラで優勝
これが逆転のPL神話の始まりだと思う >>1-2
>スポーツって、根気よく練習しないとうまくならないじゃないですか
これはわかる
>それと一緒で、先輩・後輩の厳しさの中から我慢を覚えることで、
>社会に出た時、理不尽なことに遭遇しても、耐えられる人間を育める
一緒じゃねぇし。理不尽に耐える人間を育むとかいってるから暴力事件おこすんだよ >>43
清原プロになっても後輩にしょんべん飲ませるしな 理不尽を受け入れる
つまり論理的思考を放棄することに他ならない 晩年は大阪桐蔭なんかと比べて個で劣っていても
やっぱそれぞれがしっかりした野球してたんだよなあ
野球を教えるノウハウを失うのは野球界にも損失だと思うけど
ネガな部分が多すぎるからそれもしょうがないか >>2
ホントの話かどうか判らないが
野球部OBが語る野球部のケガとPL病院の話は怖かったな PL出身のプロで活躍したOBっていっぱいいるだろ
誰も母校を助けようとは思わないのかよ PL出身のプロで活躍したOBっていっぱいいるだろ
誰も母校を助けようとは思わないのかよ 厳しい練習の青春時代ってずっと尾を引くものなのかね
高校生活はともかく高校自体にはなんの思い入れもないけど >>69
PLに2-1ぐらいで負けてベスト4の印象。
PL、近大、上宮と強豪が多かったな。 あれだけのOBがいれば、野球部の存続ぐらいなんとかなりそうだが。。
まとまりが全くなかったのだろうな。 暴力事件発覚後、厳しい指導がなくなったことがPL野球部低迷の原因だと
PL野球部OB日テレの上重が大真面目に言ってたけどアホ丸出しだな
普通に考えたら暴力嫌って有望選手が大阪桐蔭や履正社に流れたと見るべきだろ 中日ファンはみんな立浪さんに中日の監督をやって欲しいと思ってるに違いない >>82
教祖様が野球部イラネって言ってたんだからどうしようも無い 行き過ぎた行為はよくないとか言っても
17,8歳の子供に「後輩を自由に殴って良い権利」なんて与えたら何人かは行き過ぎるに決まってる ずっとPL学園見てきたけど、清原桑田時代も良かったけど、広島の西田や南海の西川がエースだった時代が好きだったな
立浪世代はコンピューターみたいで情が沸かなかった 野球が上手ければ何をしてもよいというな風潮で起きた事件があったからな 信者数が減ったとか・・・
確かに多い時は180万人だったかもしれないが、
現在それでも公称100万人だぞ
これは一つの地方都市、しかも大都市を丸々形成できる人数だぞ
いやいや都市どころではない、地方の県、例えば青森県とか秋田県とか一つの県を構成できる人数だからな
何の財政不足だよ? >>91
野球と宗教団体の数字は、その半分だと思えと言う格言を知らんのか? 当時のPLと互角の高校は全国でも大商大堺だけだったから、
立浪が大商大堺へ行っていれば春夏連覇していたかもしれん 昔、河合塾の夏の模試で隣の奴の高校名がPLだったわ
丁度、甲子園でPLが試合してる時間だった 清原監督の元、少数精鋭で大阪桐蔭履正社に立ち向かうチーム作りをして欲しい。
水島新司の漫画になる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています