>>943
豊臣の終わり方と、徳川の終わり方って結構共通点があったりするなと思う次第
豊臣は石田ら官僚と、加藤福島らの武断派の内部対立があり
結果石田らが全滅、武断派が関ヶ原後豊臣を支えたとかいうと頼りなく
徳川も譜代井伊と御三家水戸の内部対立があり
豊臣と違う点は全滅はしなかったけど両者共倒れのような結果となった

豊臣の関ヶ原、徳川の安政の大獄、この内部対立の当事者は豊臣徳川を支えるでなく
漁夫の利を得た外様の徳川と島津が台頭する結果となった
徳川は関ヶ原の勝利者、島津は安政の大獄の敗者の立場に立ったが
島津は西郷が生き残り、損害を被った訳でもなかった

その後の豊臣徳川を強く支えた人は決して多くなかった
豊臣と比べたら、徳川は周りの人数は多かったかもしれんが
会津桑名とそれ以外の譜代親藩には温度差があったと思うし
鳥羽伏見で大阪城に集まった旧幕府軍も、伊予松山や高松など戦意の乏しい藩も存在した
戦意の高い会津桑名幕臣らも、徳川を守るというより自分の地位を落とされる事に激高しただけのようにも思える
大阪の陣の豊臣はバラバラであったが、鳥羽伏見の徳川もバラバラだった