ニーチェの善悪の彼岸。。。
フロイトのいう「快感原則の彼岸」で言っていることと同じで
つまり善悪の対立の向こう側に行こう、フロイト的に言えば、
快・不快の彼方へ行こう、というもの。

西欧の哲学の歴史は「二項対立」の内部で動いてきたけど、その中で自然が忘却されてきた。

ニーチェは生物学の知見で「二項対立」の彼岸に自然を見いだした。フロイトも、同じ。
第2の自然の向こうに、原初の自然を見いだした。
ドゥルーズが「マゾッホとサド」で言っているのも同じ。

善悪の彼岸の中でよく引用される
「怪物と闘う者は、闘いながら自分が怪物となってしまわないようにするがよい。
長いあいだ深淵を覗き込んでいると、深淵もまた君を覗き込むのだ」

言っていることは、ミイラ取りはミイラになるよ、気をつけて、という意味。

そして深読みすると、物を見ることはその物に見られること、
私が他者を見ることは他者から私が見られることでもある、ということ。

西田幾多郎は同じことを「物来たって我を照らす」と言っています。
認識は決して一方向ではなく、双方向である、と。