俺は、アメリカや日本でアンドレ(ザ・ジャイアント)と何度も試合をした。互いに信頼できるものがあったから、
あそこまで闘うことができたんだと思う。

試合は、お互いにつくるものなんだよ。ただね、ヒールが試合をリードし、つくっていくんだ。それができないと、一流のヒールにはなれない。

猪木さんと(タイガー・ジェット)シンが(1970年代後半に)闘っていたときも信頼し合っていたから、
いい試合をできたんだと思う。シンはあの頃、一流のヒールだよ。

信頼される人間にならないと、ダメなんだ。プロレスラーは強いことが、絶対に必要だよ。日本でも、アメリカでも道場破りはいる。
俺がアメリカにいるとき、マサ(斎藤)さんと一緒にいたら、アメリカ人の男が「俺と闘え!」とマサさんに言ってきた。アマレスをしていたようだった。
マサさんは、受けてたったよ。最後は、めちゃくちゃにしていた。男は、悲鳴を上げて逃げていった。俺は、昨日のことのように覚えている。

選手として一流になるためには、信頼される人間になることが大事なんだ。マサさんは、その両方を兼ねそなえていた。
プロレスラーって、難しいよね。強いだけではダメなんだよ。

俺が全日で試合をしているとき(1986年)、長州(力)とシングルで闘った。やはり、3流のレスラーだったね。
アメリカでは通用しなかった理由がわかったよ。

試合の展開がいつも同じで、決め技がスタン・ハンセンのコピーのリキ・ラリアットしかなかった。
ハンセンのラリアットと比べると、きかないよ。パワーが違う。そんなラリアットに俺は1発で倒れて、負けられないんだ。
アメリカではあの頃、アンドレやホーガンと闘っていたんだ。だから、あの試合ではリキ・ラリアットを3〜4発連続して受けた。
そうでもして負けないと、俺のプライドが許さない。それで倒れて、ワン・ツー・スリーを数えられ、負けた。

俺としてはいい仕事ができたと思っていた。怒ったのは、試合が終わった後だよ。
試合では、俺がトップロープから飛び降りて、ダブル・ニ―ドロップを(長州に)に入れたんだ。
(長州は)肩を(レフリーのフォールの)ワン・ツーで上げて、外に逃げることになっていたのに、あいつはマットに寝たまま、
観客に向けて右手の人差し指を突き上げて右に左に振って、「こんな技はきいていない」というジェスチャーをわざわざ、アピールしていた。

その映像を、俺は見たんだ。ほかの選手からも、聞かされた。相手選手のフィニッシュホールドを大勢の観客の前でバカにするなんてありえないよ。
そのことを試合中にわかっていたならば、リキ・ラリアットを3〜4発連続して受けた後、ワン・ツー・スリーのワンで俺は立ち上がったよ。
そして、「ふざけるな! お前のラリアットなんてきいていない」と怒鳴り、リングから降りたよ。そのまま(控え室に)戻ったさ。そんな試合は放棄だ。
馬場さんなら、許してくれたんじゃないかな。プロなんだから、(試合中に)やっていいこと、いけないことがあるわけ。

相手を持ち上げることで、自分も持ち上げてもらう。それでお互いで試合をつくる。それができるのが、プロだと俺は思う。
長州は、それを知らないのか。知っていてやっていたならば、人間性も3流だからか…。