12月5日に行われた東京運動記者クラブ懇親会で米寿の祝いを受けた報知OBの田中茂光さんは夕刊紙からスポーツ紙にくら替えした時の生き証人。田中さんは「スポーツ紙転換は、売りあげが伸びなかった夕刊紙の報知が生き残るための苦肉の策だった。プロ野球の2リーグ分立が追い風になった」と話してくれました。報知の発行部数は1950年6月平均で10万1365部。それが10年後の1960年には37万3416部、大阪発刊後となる1970年83万4588部。1980年は江川事件があったにもかかわらず119万9469部にもなりました。ギャンブル面の拡充などもあってスポーツ紙のパイが格段に増えていったのです。ところが、インターネットが開発されて広告がじわじわと減り、それに輪をかけるかのようにスマホの驚異的な普及で売りあげも落ちています。実際の数字はもっと少なく、小さくなったパイを食い合っているのが現状です。米国でも1990年1月31日に「ザ・ナショナル」というタブロイドの日刊スポーツ紙がニューヨークを中心に発刊されました。メジャーでは1試合1ページの要領で詳しく掲載されていましたが、翌年6月13日で廃刊。時差のある米国、そしておらがチームだけなら地元紙で十分というお国柄でわずか1年半の運命でした。それを考えれば東京だけで6紙がひしめきあう東京で48年間、1紙も廃刊せずに継続しているのは奇跡と言えますが、それもあと何年持つのか危機感を募らせています。

 青息吐息のスポーツ紙。部数とともに広告収入の面でも、最も収益性の高かった案内広告が4ページから6ページ。デパート、自動車関係などのカロリーの高い広告も1970年代までは入っていましたが、今ではそれも皆無に近くなりました。かつては消費者金融はやめようという時代もありましたが、今ではそんな事も言っていられず一般紙にも登場する強精剤の広告が各紙を埋める事態になっています。その流れをあらがうかのように、各スポーツ紙、一般紙も含めてネット情報を拡充して新たな収入源を模索している状況になっています。今後どこまで伸ばせるのか、速報の競走と面白い記事で読者を引きつけられるか模索している状態です。状況はテレビ、ラジオも同様。巨人戦を含め地上波テレビでの野球中継の減少に、先日は1952年にスタートしたTBSラジオが野球中継からの撤退を発表しました。T部にはTBSだけでCS2つBSが1つ、地上波が1つと計4つの局があり、そちらでの中継スタッフ集めも大変だったから、という理由も聞こえてきます。一般の人たちが野球に離れる機会が昔から比べ極端に減ってきたわけです。

 スポーツ紙的には一般紙が総力を挙げるオリンピックやワールドカップなどは大きく取りあげるものの部数につながってこないのが現状です。スポーツ紙にとっては、野球界のかつてのような定着が必要かと思います。そこで我が社も含めスポーツ各紙は少年野球などを後援しています。野球振興という言葉はいいですが、個人的には後援してその関係者だけでも新聞を売ろうとする考えなのでは、と思っています。今後は野球に縁のない子供達にきっかけを作るのが大事かと思われます。実は1977年に小学校の学習指導要領から野球が削除されました。1998年に選択科目。そして2011年にようやく「ベースボール型ゲーム」が必修化になりました。しかし、空白の34年間はあまりにも長かった。そのため、私たちの世代には考えられない野球にまったくに縁のなかった時代を過ごした教師が多くなったようです。そんな教師をバックアップするためにNPBは昨年8月に通算6度目となる小学校の教員を対象に「ベースボール型授業研究会」なるもの開催。2016年からは12球団と連係。2016年度は23会場で1100人が受講。今年はそれを上まわる数を各地で開催しているそうです。「ベースボール型」と呼ばれるだけに、野球と違っているかもしれないですが、興味を持つきっかけになることは間違いないでしょう。「畠に種をまく人。耕して育てる人。時間がかかるでしょうが、いつか大きな実を結ぶことでしょう。今後はスポーツ新聞もこんな活動を手助けして、減りつつあるよされる野球ファン増加の一助になって欲しいと思っております。

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