【プロ野球】西武元監督の森祗晶氏(81)、辻監督ら教え子たちと談笑 辻監督「ピッチャーが大変だなあと言われたよ」
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西武元監督の森祗晶氏、辻監督ら教え子たちと談笑
2018年7月20日21時7分 日刊スポーツ
https://www.nikkansports.com/baseball/news/201807200000609.html
西武対楽天 試合前、記念撮影をする森氏(左)と辻監督(撮影・狩俣裕三)
https://www.nikkansports.com/baseball/news/img/201807200000609-w1300_0.jpg
ピッチングセレモニーで、辻監督(手前)が捕手を務める中、投球をする森氏(撮影・狩俣裕三)
https://www.nikkansports.com/baseball/news/img/201807200000732-w1300_0.jpg
西武監督時代の森氏
https://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/images/20110804/bbl1108040924000-p1.jpg
<西武2−7楽天>◇20日◇メットライフドーム
西武元監督の森祗晶氏(81=日刊スポーツ評論家)が球場を訪れた。
「ライオンズフェスティバル」初日のゲストとして来場。始球式を務め、試合後はグラウンドでトークショーを行う。
試合前練習中のグラウンドに降り立ち、辻監督、田辺チームアドバイザー、楽天森山投手コーチら、かつての教え子たちと談笑した。
辻監督は「ピッチャーが大変だなあと言われたよ」と苦笑いで明かした。
森氏は86年から94年まで監督を務めた。9シーズンで8度のリーグ優勝、6度の日本一を達成。「黄金時代」の指揮官として、一時代を築いた。 ナベツネの犬となって今惨めな末路をさらしてる長嶋といい対照 あの時の西武は本当強かったよな
当時、巨オタだったけど西武とヤクルトの日本シリーズはおもしろかったな ライオンズ史上唯一、右投右打でない監督(森さんは左打者)。
他の11球団+近鉄には左投左打監督がいるのに…。 おうごん時代()作った監督なのになんで横浜ではたいして実績上げれなかったの?
ライオ〜ンズ( ^ω^)おっおっおっラ〜イオ〜ンズ♪
( ^ω^)おっおっおっラ〜イオ〜ンズ( ^ω^)ラ〜イオ〜〜ンズ♪
∩( ・ω・)∩ばんじゃーい∩( ・ω・)∩ばんじゃーい∩( ・ω・)∩ばんじゃーいっ いやー痩せたね
年が年だから気になっちゃうけど
んで辻は辻で老けたなw 辻
平野
秋山
清原
デストラーデ
石毛
安部
伊東
田辺
で清原欠場時には森博幸が4番に入る DH解除でスタメン指名打者が登板て
デストラーデが初? 辻伊東田辺秋山石毛工藤渡辺森大久保東尾
これだけ監督になってるのは凄い 辻や伊東、監督になることは選手時代から予想できた。
田辺とデーブ大久保が監督やるのは予想外 大久保は未だに森のこと恨んでるんだろ
完全に逆恨みだが
広岡に頭下げて頼み込んだ豊田さんに謝れ >>30
何気に西武 25年(82〜06年)の連続Aクラスもすごい 監督の頃は性格悪そうなブサ面だったのに
年取ったら三國連太郎みたいになってるな >>34
監督時代は勝たないとっていうプレッシャーと戦ってたが
今はそういうのがないからおだやかな顔でいられるのかもね 森監督の頃の西武はリーグ優勝は当たり前
って感じの強さだったもんな
強すぎて嫌われるレベル >>40
ID野球でのむさんが持て囃されてたが森のデータの緻密は異常だったようだ。 結果としては西武の一人勝ちにはなったけど、チームカラー真逆の近鉄との毎年のペナント争いは面白かったな CSが無かったから、みんなで西武を潰しには行けたんだけど
毎年跳ね返してたからなぁ 森さんとか落合さんとか監督したら強いのになんで人気出ないんだぜ? >>42
むーかしのともは いまもともー 俺とお前とダイゴロー とよださーん!
の豊田泰光だ
>>45
仰木さんが西武包囲網とかよく言ってたな
ポストシーズンは無かったけど当時は開幕戦ホームがAクラスチームって決まってたし、
やっぱAクラスってもんに価値があって各球団思惑があるから思い通りにはいかんかったね 俺はいまでも、古田より伊東のキャッチングのほうが上だと思う ベイスターズで勝てなかったのは残念だったな
全盛期のライオンズは本当に強かった
真の名将だと思う >>48
たーふるさんの価値は一番負担のかかるキャッチャーでありながら
打率3割でHRも打てるってのがすごいんだよ >>26
あいつの地頭の悪さじゃ監督は無理
いいとこ少年野球の暴力コーチ あの頃の横浜は古葉でも勝てなかったし、誰が監督やっても無理だった 俺が子供の頃は地味で無愛想なおっさんだと思ってたけど
アメリカナイズされたかっけーじいさんだな >>52
古葉さんが監督やってたのは大洋ホエールズの頃だし
森さんがやってた時はベイスターズだろしかも権藤さんの直後
まあ自由放任主義のあとに管理野球の申し子を呼び込むフロントがダメだわな 石毛は何だったんだろうね。
将来の監督候補と言われ、オリックス監督になったが、、、今や忘れ去られた人。 >>56
ホークス2軍監督の頃がひどすぎて二度と監督は無理だと思う >>56
四国アイランドリーグを作ったのが功績かな・・それくらい >>7
80年代は西武圧勝でもまだ楽しめたんだけど90年代
のパ・リーグはもう面白くなかったなあ
西武が強いというか他球団が低迷しててなあ 55 名前: ナナシマさん 投稿日: 02/11/05 08:35 ID:BUSeajz1
727さん、広岡、森のケンカ別れの本当の原因を教えてください。
自分の知っている範囲だと、森の副業、ホステスを巡った女性
関係が原因だとなっているのですが。
以前、テレビで大沢親分が、原因は知っているが口が裂けても言えない
と言っていたが。
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56 名前: 727 [sage] 投稿日: 02/11/05 09:42 ID:???
では東尾の残り3年間にいく前に>>55の質問に答えておこう。
広岡と森との喧嘩別れの原因は、女性問題とよくいわれているが、
まあ、それもないことはないだろうが、本当の親友ならば、いいおっさんが
ホステスとの三角関係くらいで、長年の友情にヒビが入るわけがない。
仮にヒビが入ったとしても、仕事上の利害関係がうまくいっていれば、少なくとも
表面上は親友でありつづけたはず。
それがなぜ、周りを憚ることなく罵倒し合うようにまでなってしまったのか。
彼ら自身の今後の仕事と面子に関わる問題が、もっと大きな問題としてあり、
そしてその問題について、二人が綱引きを繰り返した挙句、結局お互いに疑心暗鬼と
なって、信頼関係が崩れてしまい袂を別ったというのが真相だ。
無論このことにも、当然のことながら堤が絡んでいる。
これを書き出すとたいへん長くなるので簡単にしておくが、以前にも触れたように
広岡は巨人OB会の主流になれないのならば、いっそ今後の西武球団の一切を取り仕切る
「ドン」になりたいと思っていた。
まあ、一等航海士が船長も兼ねて船を自分の思う通りに操ってみたいというところか。
だが、広岡は急ぎすぎた。
堤に取り入って現場の意見を聞き入れてくれない(東尾トレードなど)根本を追い出して、
フロントと現場を一気に掌握しようと画策した。
しかしこれは失敗した。 57 名前: 727 [sage] 投稿日: 02/11/05 10:12 ID:???
広岡は、川上の失敗に何も学んでいなかった。
川上もV9達成後、長嶋に監督をバトンタッチしたあと、
フロント・トップすなわち球団代表の座を狙っていたが、結局それは叶わなかった。
川上の蹉跌は、長嶋が彼を疎ましく思っており、読売幹部とフロントの長嶋シンパ
から総スカンを喰ったことに要因がある。
こういう計画は、急いではだめなのだ。
川上は長嶋の力をみくびって失敗したが、広岡も根本の長期的な展望をしっかり
理解しておきさえすれば、なにもあせって行動する必要などなかったわけである。
予断になるが、川上の場合はもし彼が巨人軍のフロント・トップになっていたら
それなりに、かなりの力量を発揮していたのではないかと思われる。
少なくともV9以後から長く続くジャイアンツの低迷はなかっただろう。
(この点は根本も同じ考えを持っていた。)
しかし広岡は、この時点ではまだ現場の責任者が精一杯で、とてもゼネラルマネージャー
をこなすことは無理と根本は判断していて、それをいきなり頭越しに広岡が「天皇直訴」を
やらかしたものだから、これには根本も激怒した。 60 名前: 727 [sage] 投稿日: 02/11/05 10:54 ID:???
広岡直訴を聞いた根本は、烈火のごとく怒り広岡を問い詰めた。
根本のあまりの怒りように広岡はたじたじとなり、自分はトレードなどの
補強についての現場の意見をオーナーに伝えただけと弁明したが、
事がここに至っては、根本の方も引くわけには行かない。
根本は「あとはオーナーの判断次第だ。」と言って席を立った。
広岡は、これで西武における自分の立場は完全になくなったと悟った。
同時に根本ととの会談の中で根本が言った、
「君はフロントへの不満ばかりを言うが、自分の足元で燻っている火種を
知っているのか。」
という言葉が引っかかっていた。
つまり選手から監督である自分への批判が多くあり、それを抑えられないでいて
フロントに意見するなど何事だ、というわけだ。
広岡は、これについてヘッドコーチの森が自分を裏切って根本にご注進に及んだな、
と確信した。 63 名前: 727 [sage] 投稿日: 02/11/05 12:20 ID:???
それで広岡は森と大喧嘩をするわけであるが、ここで広岡は自分の意見に対して
堂々と反論してきた森をみて、驚くと同時に今回の一連の出来事(堤と根本の自
分に対する冷たい反応)は「クーデター」であったということを実感した。
そうでないなら、反論せずに俺に同調してヤクルト時代と同じように森も自分と
一緒に西武から出て行くはずと思ったのである。
それが森が自分に喰ってかかったことで、森が「謀反」を起こしたと解釈したわけ
である。(どこまでも手前勝手な判断をするものである)
まあ、森は森で彼なりに思うところはあったのだろうが、広岡があんまり自分勝手な
ことばかりいうので、さすがに頭に来て喧嘩を買った。
このときの大喧嘩では、いろいろと些細なことまで俎上に挙がったらしい。
その中の一件が例のホステスというわけだ。
ホステスの件などはまだいいほうで、何年も前の飲み屋の支払いをおごったの
おごられてないだの、本当にどうでもいいことで罵倒し合ったというのだから笑わせる。
(やはり広岡は巨人の選手時代の悪いクセが抜けてはおらず、こんな風ではゼネラル・
マネージャーなどとんでもない話だったろう。そういう意味ではこのときの判断は
根本が正しかった。)
広岡がなぜにあそこまであせって「天皇直訴」などということをしたのか、
今もってよく判らないが、おそらく川上との確執を大正力に仲裁してもらった
という昔の出来事が頭にあったのだろう。
広岡の失敗は、堤が自分を買っていてくれていると誤解していたことにある 65 名前: 727 [sage] 投稿日: 02/11/05 13:46 ID:???
もしかしたら広岡は、森が自分の後釜に座る腹づもりとの危惧をすでに
抱いていたのかもしれない。
それゆえのあせりだったかもしれない。
それならば、堤に直訴などせずに直接根本と腹を割って話し合えばよかったのに、
森がすでに根本を篭絡していたらまずいと考えたのだろう。
たしかに監督の広岡のやり方を批判する声はベテラン選手から挙がっており、
それは広岡も知っていた。森がその批判を一身に受けていたことで、森と自分は
一心同体だと思っていたが、それを逆手に取られて寝首をかかれるかもという
不安を広岡は持っていたようだ。皮肉にも自分が先手を打ったつもりが、心配していた
とおりの結果になってしまったというわけだ。
このへんは、一度疑心暗鬼になるとどこまでも深みにはまってしまって抜けれない
ドロドロの人間関係の底なし沼、という感じがする。
広岡の軽率な言動で、結局ポスト広岡は森ということになった。(堤は広岡解任
には同意したが、森昇格には難色を示した。しかし結局根本に押し切られた。)
広岡が先走りさえしなければ、根本の構想として、西武の将来の監督人事は、
広岡・長期政権から間に森か巨人OBをはさみ、石毛監督誕生へという流れを
考えており、そのとき広岡はゼネラルマネージャーに就任させて根本自身は球界を
勇退するという、漠然とした青写真を持っていた。
広岡は自分でそれをぶち壊してしまったわけである。
(のちに広岡は実に惜しいタイミングのずれで巨人の監督になれず、その後ロッテ球団の
オーナー二代目にうまく取り入って、ようやくゼネラル・マネージャーの椅子に座るが、
またしてもここでせっかちな性格が災いし、わずか2年でこの椅子を棒に振ってしまう。
またこれにもふれると長くなって怒られるので、とりあえず広岡の件はここまで。) あの頃は凄く強かったのに
何がどうしてこうなったんだよ? 八十年代後半〜九十年代前半の西武は、何をやってもうまくいく、というイメージだった。
大砲だけでなく、
足も使えるし、
守備の名手も居るし、
投手陣だって、先発・救援共にバラエティーに富んでるし、
左の先発が工藤しか居なかったけど、左不足なんて何の不利にもならなかった。
森さんには言葉を残してほしいなあ。野村さんとの対談とかやってほしい。 >>41
そうそれな
全然ヨボヨボじゃないって驚いた
野村克也元監督83歳と比べるとその差歴然
鍛えているのか? 【西武黄金時代OB】
田淵 監督経験あり
東尾 監督経験あり
森繁和 監督就任中
石毛 監督経験あり
辻 監督就任中
秋山 監督経験あり
伊東 監督経験あり
工藤 監督経験あり
渡辺久 監督経験あり
田辺 監督経験あり
大久保 監督経験あり
清原 監獄経験あり
ノム・伊原の現役時代は黄金期前なので除外
田尾は黄金期在籍だけど西武の選手として語られる機会が少ないので除外
コーチのみは含めてないし、その他独立リーグや学生野球の指導者まで含めたら監督・コーチ経験者はまだまだいるからな
レギュラーも控えも多くのOBが指導者として球界に携わっているという事実
西武黄金期はいかにレベルの高い野球をやっていたかがうかがい知れる 黄金時代の西武って、打線だけじゃなくて
五番手投手がセ・リーグ行ったら最多勝獲るくらいの
凄い投手陣だったんだよなぁ まだ西武とそごうがスポンサーやってるけど
本当は昔も全く別会社だったんだよな。
堤の兄が百貨店で弟が鉄道や国土計画。
犬猿の仲で疎遠だったらしいが
不思議な事に船橋西武に行くと黄金期のライオンズのポスターやグッズが至る所に置いてあった。 コーチングスタッフって狭き門で要は引退後のドラフトみたいなもんだ
そう考えると黄金期西武はいかに突出した学校だったか分かる 森といえばナゴヤドーム開場直後のゲームのNHKラジオの解説で
放送中ずっとナゴヤドームで販売される食事が美味しくないと言っていたな。
アナウンサーが必死にフォローするもそれが気に入らず逆切れもしてたしな。 >>80
それすごい大事なことだよ
飯がまずい球場には行きたくない >>41
そうそれな
全然ヨボヨボじゃないって驚いた
野村克也元監督83歳と比べるとその差歴然
鍛えているのか? >>25
この時の打線は強烈だったね。石毛1番、辻9番の時よりも強いと感じた。 >>25
それ行けホームラン博幸
それ行け気合いでぶちかませ
ここで一発放り込め
ライトスタンドへ >>25
オーレが抜けた最後の2年は燃えカス状態。
チームもチームの顔の清原も下り坂。 >>1
バットをバットで支える辻の勇姿wwwwww >>88
言われて気づいたが辻なんでこんな状態で普通に写真撮らせてんの?w
なんか目もヤバイw 巨人の頃あらゆる手段を使ってライバルを蹴落とした人。
今なら訴えられる >>73
うち
東尾秋山伊東工藤ナベQが優勝か。
多いな >>80
もうこの人のラジオ解説聴けないけど、時々嫌みたっぷりフォローの仕様がない毒舌をかますから面白かった。
ある三振の多い巨人選手について「カークランドもスタントン(阪神)も三振が多かったけど、
ここっちゅうときは打ってくれましたからね」 >>69
やっぱり根本氏の球界の豊富な人脈と辣腕なんじゃない?
正直12球団で1番投打のタレントが揃っていたよ。
広岡時代は巨人との争奪戦を制して松沼兄弟と郭を根こそぎ持っていったし、
熊谷組に内定してた工藤もかっさらった。
伊東を球団職員として強制的に埼玉に転校させて囲い込む。
メジャーですぐにでも活躍出来ると評判の秋山も巨人の目の前で持って行くし、
天才児、清原も抽選に参加させなかった。
投打の控え達も他球団行けば、即レギュラーやエース級。
強いのは当たり前だよ。 >>15
当時の両チームの
スタメンと年俸くらべれば解る
名将でも駒が三流では勝てないし
当時の西武は堤のゼニと根本の寝技があって
グランド上が一流ばかり揃った ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています