クロアチアの頑張りは感動的だった。決勝トーナメント1回戦、準々決勝と連続PK戦勝ち。中3日で疲労は明らかだった。早々とイングランドに先制され、ゴールにカギをかけられた。それでも、ひたすら献身的にゴールを目指した。

 チームの心臓でもあるモドリッチは、ミスで奪われたボールを鬼の形相で追った。決勝点は少しのチャンスも見逃さずにマンジュキッチが決めた。体力的に限界でも、集中力は最後まで切れなかった。

同点ゴールのペリシッチは「我々のような小さな国にとって、この勝利がどれだけ重要か」と言った。人口約440万人、東京23区の半分より少ない。面積5万6590平方キロ、北海道の3分の2程度だ。大会の歴史の中で決勝進出は13カ国目、もちろん最も小さい国になる。

 タレントは豊富だ。レアル・マドリード、バルセロナ、インテル、ユベントス、リバプール…。多くが欧州トップレベルの強豪クラブで中心選手として活躍する。そんな才能の塊が、国のために1つになった。必死の形相で戻るモドリッチを見て「国のために戦うとはこういうことか」と思った。

 忘れられないのは90年イタリア大会のユーゴスラビア。セルビアのストイコビッチ、モンテネグロのサビチェビッチ、クロアチアのプロシネツキ、マケドニアのパンチェフら若いタレント陣が攻撃サッカーを披露した。

スペインに快勝し、10人になりながらアルゼンチンを苦しめた。準々決勝で敗れたが「次(94年)は優勝を狙える」と思った。

 しかし、すでに国内情勢は最悪だった。セルビアとクロアチアの民族対立が激化し、リーグ戦では暴動が相次いでいた。オシム監督はそんなチームを率いて見事なサッカーを見せたが、それもこの大会が最後。92年欧州選手権直前にFIFAから締め出され、国際舞台から消えてしまった。

 その後ユーゴスラビアは完全に分裂し、今は7つの代表チームが存在する。今大会にはクロアチアの他にセルビアも出場。スロベニアやボスニア・ヘルツェゴビナもW杯経験国だ。強豪クラブの選手も多く、妄想で「幻のユーゴ代表」を編成するのも楽しい。

 かつては「東欧のブラジル」と言われるほどタレントの宝庫だったユーゴスラビア。もし民族対立や分離独立がなければ、94年にはW杯優勝国に名を連ねていたかもしれない。

その後の世界のサッカー地図が変わっていた可能性もある。90年のチームが魅力的すぎただけに、旧ユーゴのチームを見ると、そう思う。

日刊スポーツ 7/13(金) 4:49配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180713-00266515-nksports-socc

写真
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2018/07/13(金) 05:28:04.19
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