>>955
自己言及のパラドックスに何か真実が
あるわけではもちろんないですよね。
要するに「決定不能性」です。

「美しい嘘」が持つ、読者にはそれと感じさせない
メタテキスト性、自然に小説世界に引き込ませるが、
それ自身は通用性を逸脱した文体の異質性。

そして、循環構造が目くるめくように体感させる揺らぎ。

実はこれが「東日本大震災」の実態ではなかったか?

個々人の言語化不可能、身を切られる「一回的出来事性」
は「東日本大震災」とは全く異質なものではないか?