>>942
現在読み比べれば「美しい顔」のほうが
完全に上。
「楢山節考」はパクりこそないが、姥捨て伝説
を「ある意味」正当化した。

姥捨てがなかったといいたいのではない。

「特権的貧しさ」を代表し、貧しさ故の

とここまで書いて気付いたが、深沢も北条も
山梨出身だ。北条が意識していないわけがない。

この板でこんなことを言うとまた顰蹙を買うことと
なるが、これは考えてもみなかった。

北条は意識的に激しい特異的文体を用いる
ことで小説世界に読者を引き込む。

また、当人の意図はともかくとして、メタフィクションの
形態で作品が構成されているので、解釈の多様性、
つまりは小説に対する読者の関与性を最大限に引出し、
主人公「サナエ」のアンビバレントな感情独白さえ、まるで
読者個人が自らの意識をトレースしているような感覚を
呼び起こす。

深沢も北条もストリップ劇場のギタリストやB級モデルを生業と
しながら小説を書き、世間の賞賛?(楢山節考はどうだった
のだろうか、小説のモチーフが間引きであったら?当時の読書
階層の実態は?)

もはや、とりとめがなくなってしまったが、
もしかしたら、「美しい顔」の小説世界には
「貧しさ」や「被災者」の特権性を漂白し、
現代風にアレンジされた「運命」が通奏低音として
流れているのではないか?

三島と佐々木の評論文、評価の同一性はともかく、
「美しい顔」の陳腐なラストシーンは「楢山節考」
の宿命への現代的答えではないか?

類似表現を探し出すことが得意な皆さま、是非とも
明日から「美しい顔」と「楢山節考」でチャレンジをお願いします。

かなりの成果が期待できるのでは。