85年前の佐藤次郎て壮絶やな
戦前も戦前、明治生まれの人だが

1934年(昭和9年)2月、佐藤は「テニスファン」記者の岡田早苗との婚約を発表した。
この年の3月20日、デビスカップの日本チームの主将として、箱根丸でヨーロッパ遠征に出発するが、その帰途にあった4月5日にマラッカ海峡にて投身自殺を図った。26歳没。
箱根丸の佐藤の船室には、シンガポールに着く前日に書かれた、用紙3枚の遺書が残されていた。
日本テニス協会の前身である当時の日本庭球協会の堀田正恒会長に宛てた内容で、
久保圭之助が作成したとみられる資料の中から2016年に発見。
慢性の胃腸病を患い、集中できず国の期待に応えることができない精神的苦痛を「とてもテニスが出来ません」
と明かし、日本代表を引率した自身を「この醜態さ、何と日本帝国に対して謝ってよいか分かりません。その罪、死以上だと思います」と責め、「私は死以上のことは出来ません。
生前お世話様になった同胞各位に礼を述べ、卑怯の罪を許されんことを請う。では、さよなら」と結んでいる