2018年07月10日 05:30
https://www.sponichi.co.jp/society/news/2018/07/10/kiji/20180709s00042000393000c.html
https://www.sponichi.co.jp/society/news/2018/07/10/jpeg/20180709s00042000382000p_view.jpg
本紙の取材に応じる松本智津夫元死刑囚の三女・松本麗華氏(撮影・村上 大輔)
Photo By スポニチ

 6日に刑が執行されたオウム真理教の松本智津夫元死刑囚(執行時63)=教祖名麻原彰晃=の三女で“アーチャリー”こと松本麗華さん(35)が9日、スポニチ本紙の単独インタビューに応じた。執行後、親族が口を開くのは初めて。この日、火葬された父への思いなどを1時間半にわたって語った。遺骨を当面保管するとした東京拘置所側の対応に、遺族として「法にのっとった手順ではなく、渡すつもりはないようだ」と疑問を呈した。

 ――刑の執行後は、どう過ごしていた?

 「テレビを見た知人からの連絡で執行を知り、その日のうちに家族と連絡を取った。翌7日朝に母と次女、私、長男と次男の5人で東京拘置所を訪れ、父と対面した。亡くなったと認めるのは怖く、足がすくんだ。棺の小窓から見た顔は、麻原彰晃になる前の松本智津夫だと感じた」

 ――遺体を巡り、四女VS妻側の構図とされている。

 「執行後、拘置所側から母に通告があり、7日の対面に至った。これは母が遺体引き取り人の1位という証明のはずなのに、そこで拘置所側から“父が指定した人がいる”と言われた。父は意思表示できる状態ではなく、おかしな話だと伝えた」

 ――松本死刑囚は、家族も会話ができない状態だったのか。

 「接見できた2004〜08年当時は、こちらの質問に意味のないうなずきを繰り返すだけだった」

 ――詐病だったとの説もある。

 「法相に提出した要求書には東京拘置所の医師の陳述書を添付した。会話が成り立っていなかったのは明らか」

 ――四女を遺骨の引き取り人に指定した。

 「そう報道されているが、私たちは拘置所側から聞いていない。意思表示できない父から四女の名が、どうして出たのか不思議でならない。公判でも接見でも一度も口にしたことはなく、一緒に過ごした時間も多くはない。100%ない話だと思う。8日に次女が聞いたところ、拘置所側は“松本死刑囚本人が言ったとは、言っていない”と発言を修正しており、よく分からない。また発言が変わるかもしれない」

 ――なぜそんな話になっているのか。

 「最初から、国や拘置所側は、誰にも遺体を渡したくないとの思いが見て取れた」

 ――四女と連絡は取っているか?

 「取ろうとしているが取れない。どこにいるか分からず、携帯電話の番号も変わっている。代理人弁護士には連絡しているが、返事がない」

 ――母親が遺骨を引き取ったらどうするのか。

 「家族で静かに弔いたいだけで、父の神格化など教団のために使う発想はなかった。そう思われたのは残念。要求書に書いた“金庫に保管”というのも、第三者に奪われるのを避けるための一時的な措置。大切にしまっておくという意味ではない」

 ――母親はオウムの後継団体と関係が近いとされ、それが原因で距離を置いていたはず。なぜ今、一緒に行動しているのか。

 「父の遺体、遺骨を引き取って、普通に弔いたい思いで一致している」

 ――母親は今、オウムと関係ないのか。

 「そこは分からない部分もある…。ただ、関係があったとしても、父の神格化のために遺骨を利用することはない。後継団体があるから、誤解が続く。解散してほしいとすら思う」

 ――家族にその意思がなくとも、後継団体が持ち出すなどの恐れは消えない。

 「もう20年以上、危険な動きはしていない。そんな恐れがあるだろうか」

 ――松本元死刑囚に聞きたかったことはあるか。

 「なぜオウムをつくったか、なぜ事件を起こしたのか、事件の犠牲者に思うことはないのか…いくらでも聞きたいことはある」

 ――“麻原の三女”として、顔と名前を出して情報発信するのはなぜか。

 「改名し、一人の女性としてひっそり生きた方が、生きやすかったかもしれない。だが、父のために何もしてあげられなかったという、幼い頃からの思いが消えない」

 ――犠牲者や遺族は、あなた以上の苦しみを抱えているのでないか。一連の事件は戦後最大のテロだ。

 「父のことだけを考えて生きてきたわけではない。一連の事件は、戻すことのできない確固たる事実。犠牲になった方々やご遺族、さらには父についていった方々の思いを考えるとき、私が生きていく自信がなくなることもある」