フランスは、第二次世界大戦のあと、労働力が不足して大量の移民を受け入れた。だがその後ナショナリズムの高まりとともに、移民排斥の嵐が吹き荒れた。
98年、強豪フランスは、開催国としてW杯に出場するが、このときメンバーの多くが、アルジェリア系のジダンをはじめとする移民と移民二世の選手たちで占められたため、「レインボー(いろいろな人種からなる)チーム」と呼ばれた。
しかし、そのチームが優勝を勝ち取ったとき、かれらはもはや移民ではなく、フランス国家の英雄であった。


優勝の夜、人びとは国家「ラ・マルセイエーズ」を歌って熱狂し、百万人以上がつどった凱旋門には「メルシー・レ・ブリュ」(「ブリュ」はフランスチームのシンボルカラーの青)の電光文字が浮かび上がった。
サッカーのもたらしたナショナリズムが、移民にたいする反感を乗り越えた瞬間であった。