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2018.7.10

メディアというメディアが麻原元死刑囚に奔走させられた メディアというメディアが麻原元死刑囚に奔走させられた
 「そのときが来たな、という、それだけしかありません。(死刑執行は)当然だと思っています」(地下鉄サリン事件被害者の会代表、高橋シズヱさん)

 7月6日、地下鉄、松本両サリン事件など教団による一連の凶行を首謀したとして、殺人などの罪で死刑が確定したオウム真理教教祖・麻原彰晃(本名・松本智津夫)元死刑囚(63)ら7人の刑執行が行われた。

 テレビは緊急速報し、その後も連日特集が組まれている。その犯行で29人が死亡、6000人を超える負傷者を出した「日本犯罪史上最も凶悪な事件」。1989年から95年の麻原逮捕までメディアはオウムと格闘した。何が起きるか分からない。現場は異様な緊張感が漂っていた。記者は、サリンやVXガスやホスゲン、青酸ガスによる「ポア」の標的で、実際に襲撃もされた。

 「地下鉄で毒ガスがまかれたらしい!」

 1995年3月20日、週刊文春記者だった私はオウム取材で向かう新大阪行き新幹線の中でその知らせを聞いた。同行したO記者がデッキから戻ってくると険しい表情でそう話し、私は固唾をのんだ。当時はインターネットも不備で、ポケベルと旧式の携帯電話の時代だ。到着するやいなや電話ボックスに駆け込んで、知り合いの記者に片っ端から電話したのを覚えている。

 日本転覆計画、それはまさしくテロ集団化したオウムが仕掛けた戦争だった。謎の事件であった松本サリン事件はメディア内ではオウム犯行説がささやかれていたが、地下鉄サリン事件をきっかけに警視庁の強制捜査が入り、次々と教団の関与が明らかに。そのつど、教団広報だった「ああいえば上祐」が詭弁(きべん)を弄し、教団犯行説を否定したが、さらに村井秀夫殺人事件や國松孝次警察庁長官狙撃事件が起き、社会を不安に陥れた。

 オウム一色のニュースのなか、私も取材の真っただ中で、刑執行された「裏のトップ」早川紀代秀元死刑囚(68)の愛人を見つけてインタビューし、教団幹部の俗物的本性を暴く記事を執筆した。ロシアの外電を細かく調べていたら、早川元死刑囚が銃器や戦車、ミサイルを調達し、本格的に教団を軍事化しようとしている事実を知り、背筋が凍った。サリンをヘリコプターで東京上空から空中散布するという計画は具体的に進んでいたのである。

 幹部の多くは私と同世代。高学歴エリートが尊師に帰依し、結果、多数の無辜(むこ)の人の命を奪うという暴挙に出たのは、なぜだったのか。彼らを駆り立てたのは教祖の麻原元死刑囚なのか、それとも集団心理による暴走なのか。だが残念なことに、事件の真相は、オウム死刑囚から語られないまま終わってしまった。

 ■中村竜太郎(なかむら・りゅうたろう) ジャーナリスト。1964年1月19日生まれ。大学卒業後、会社員を経て、95年から文藝春秋「週刊文春」編集部で勤務。NHKプロデューサーの巨額横領事件やASKAの薬物疑惑など数多くのスクープを飛ばし、「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」の大賞受賞は3回と歴代最多。2014年末に独立。16年に『スクープ! 週刊文春エース記者の取材メモ』を出版。