絶賛しすぎい!!
で、こいつら騒動の後はほとんどコメントしてなさすぎ!!

小説家で明治学院大学教授の高橋源一郎は上記の第61回群像新人文学賞の選評において、「この作品で、作者は、それがどんな過酷な体験であったかを、まるでドキュメンタリーのように詳細に描いてゆく。
ここまで真正面からストレートに「あの日」を描いたフィクションはなかったように思う」と評価した[13]。

小説家の辻原登は上記の第61回群像新人文学賞の選評において、「「美しい顔」、ただ一作について」と題し、森鴎外の『山椒大夫』やアルベール・カミュの『ペスト』を参照しつつ、
「これほどの天災を語る時、かつては必らず誰もが「神」について考え、祈ったり呪ったりしたはずが、なぜ登場しないのか。
この作品の優れて批評的な部分は、それを「マス・メディア」に置き換えて語っているからだ。「神」は横倒しになっている」と評した[13]。

フランス文学者で翻訳家、東京大学教授の野崎歓は上記の第61回群像新人文学賞の選評において、「読み始めるやすぐに、これは並はずれた作品と出会ってしまったのではないかという気持ちにとらわれたのだが、その感覚は読み進めるうちに強まる一方だった。
激しく胸を揺すぶられ、ときに唸り声などもらしながら夢中で読み終えた」「作品を冷静に見定め評価するといった選考委員としての構えが吹き飛んでしまった、これはすごい、素晴らしい小説だとつぶやくばかりだった」
と作品を読んだときの衝撃を語った後、「作品の全体が緊迫感にあふれ、たまらないほどの悲しみに覆われている。しかも文章には勢いがあり、いきいきとした躍動があって、平板に陥ることがない」とその文章力を評価した。
そのうえで、「ひょっとして実際の災害とは無縁の作者によるものだとしたら、それはまたこの小説の驚嘆すべき点」「「美しい顔」の登場人物たちがいかにまぎれもなく生きていると感じられることか」と作者の想像力を称賛し、
「破格の筆力によって、日本のみならず世界に向かって発信されるべき作品が生まれ出た」「驚くべき才能の登場に興奮が収まらない」と世界的作家の誕生を言祝いだ[13]。

批評家で元早稲田大学教授の佐々木敦は東京新聞の「文芸時評」において、「これはちょっと相当に凄い小説である。力作と書いたが、まさに言葉に宿る「力」が尋常ではない」
「作者は一歩も後ずさりをしようとはせず、逃げていない。こういうことはめったに出来ることではない」「これは本物の小説である」と絶賛し、「しかも、作者は実は被災者ではないのだ。
(中略)しかし、それでも彼女はこの小説を書いたのだし、書けたのだ。(中略)これは才能の問題ではない。なぜ書くのか、何を書くのか、というのっぴきならない問題なのだ。
小説を書くことの必然性の問題なのだ」と被災者ではない作者が本作を執筆したという事実を称賛している[14]。

文芸評論家で法政大学教授の田中和生は毎日新聞の「文芸時評」において、これまでの震災作品を「震災が起きたという事実を「反映」しているだけで、
本質的なところで表現しているとは言えなかった」とし、「ついに2011年に起きた東日本大震災を「表現」する作品が登場したと言っていい」と評している[15]。

文学研究者で名古屋大学大学院准教授の日比嘉高は『文學界』2018年7月号の「新人小説月評」において、「過酷な現実に対応せざるをえない未成熟な自己の、その痛ましくも力強い格闘の記録であり、成長の物語である。
私は昼飯のパンをかじりながら読み、落涙したよ」などと評して「今年前半期一番の収穫」とし、
「ポスト震災の文学を論じていく際には外せない作品として、今後広く長く参照されることになるでしょう。文学研究者として断言します」とTwitter内でも言及している[16]。