原始とか古代とか中世の、ほとんどの社会構成員が身体を使っての労働に従事している社会では、
男と女の作業はきっちり分けたほうが効率的である。
おのずから女人禁制エリアと男人禁制エリアができる。
実情としては「女人禁制は目立つが、男人禁制は見えにくい」ということにすぎない。
男は自分たちの使い勝手のいい社会≠ニいうシステムを作り、多くの人に見えやすいルールを定める。
いきおい「女人禁制」エリアは大きく社会に告知される。
いまも残る「女人禁制」のほとんどは宗教的禁忌である。

祭りを仕切るのが男の仕事であるかぎり、中心エリアは男子が取る。
夏の高校野球のご神体はおそらく「純粋なアマチュアリズム」と「自己犠牲を厭わない全体への奉仕」だろう。
戦前日本にはとても馴染んでいた精神である。
要諦は「いまが戦いの場であることを忘れるな」という精神であり、むかしはそこかしこにあったのだが、
最近みかけなくなったので、ここに閉じ込められているようだ。
明治日本の軍事的精神がいろんなものをすりぬけて21世紀まで伝えられている。
高校野球を神事と見立てると、選手は「供犠としての稚児」という存在になる。
長髪が許されないのも、ユニフォームの基本色が白なのも「神への捧げ物だから」である。
死にそうな炎天下のもと、延々とプレイしつづける少年たちは、精進潔斎を済ませて、
神へのお供えとしてプレイを続けているわけである。
神の前だから、緩慢なプレイは許されない。
攻守交代も全力疾走。
監督やコーチという大人も、供犠の場へ出てくることは許されない。
いつも「伝令」が走ってくる。

のちプロに入るつもりの選手であっても、甲子園のマウンドでは、腕も折れよ、とばかりに無理に無理を重ねて投げ続ける。
この空間にはそういう呪縛がある。
一試合ごとに、きれいに均らされる土の内野グラウンドと、緑が美しい外野グラウンドは、
聖地の名にふさわしい静謐さを保持するとともに、やはり柔らかな死をつい思いうかばせてしまう。
十代の少年たちは、自己犠牲をいとわず、その連帯の美しさのなかで終わりを迎えようとする。
甲子園にはドラマがある、というのは、どこかで誰かが犠牲になるということでもある。

甲子園では、8月15日の正午になると、試合を中断して1分間の黙祷を捧げる。
聖地甲子園だから、おこなわれている。
「戦争で死んだ球児たち」への黙祷である。
武道館における「戦没者への黙祷」に比べて黙祷が向けられてる範囲がかなり狭く、そのぶんより宗教的な行事だと言える。

高校野球大会の始原は大正4年、職業野球の始まりは昭和11年。
つまり高校野球から見れば職業野球というのは、20年も遅れてやってきた新参者であり、
しかも「神聖なる野球に金儲けの概念を持ち込んだ穢れた存在」だと見なされていたのである。
これはプロ野球発足から戦後ブームになるまでのあいだ、実際にプロ野球に対して向けられていた一般の視線でもある。
「高校球児たちは何も報酬を求めず、清く正しく美しい」
高校野球は職業野球をはるかに凌駕して神聖な存在であり、どう見ても職業野球の上位に立っている。
ただ、その思念をおおっぴらに表明することはなかった。
思念は底に深く流れ、やがて不思議な精神の形となって所属する人たちを縛していく。
相撲節会は、きちんと宗教的行事である。
しかも裸体での神への奉納である。
「高校野球をみることによって清浄なる心持ちになる」のは「伊勢神宮に参詣して清らかな気持ちになる」と似てなくもない。