「ドーハの悲劇」は、サッカーを真剣にやった結果だからこその「悲劇」なわけで
それはむしろ願いとなってサッカーの未来につながったよね。

でも今回の無気力試合は、そういう一連の価値観を根底から否定してしまった 「ドーハ所以の虚無」といっていい
これのせいで負けようがなにしようが悲劇にも歓喜にもならないという意味で
ロシアの虚無といってもいいかもな。