>>258
う〜ん、だからねぇ、ちょっとサカオタ君には難しい話になっちゃうと思うんだけど

何で「数学」が、人類最高の知的ジャンルと呼ばれているかというと、デジタルで、定義やルールが明確で、いくらでも合理的思考が展開できるから

学問ジャンルは無数にあるけど、数学ほど合理的な思考は蓄積できない
なぜなら他のジャンルは基本的にアナログであり、明確な境界線や区別などは存在しないからだ
例えば、政治学なら、そもそも「政治」の明確な定義とは? 「民主主義」の定義とは? と定義のレベルで論争が起きてしまう

将棋とかもデジタルでしょ?
「5七飛車」っていう手は存在しても、「5七飛車っぽい」なんていう曖昧な手は存在しないんだ
つまり、デジタルであればあるほど、明確に合理的な計算が可能になる
デジタルであるかぎり、何百手先、いや、何万手先まで読めるんだ

サッカーと野球、どっちがデジタルかといえば、それは間違いなく野球でしょう

サッカーは自由度が高く、アナログで、22人がリアルタイムで動いているから、デジタル化、数値化が難しいんだ
変数が極端に多くなり、最適解を求めることができなくなる
ここまではわかるよね?

でも、これはサッカーが「難しい」というよりも、「あいまいで、不明瞭」だからなんだよ
カオス理論って奴なんだけど、カオスを突き詰めていったら、最終的には「決定不可能性」に行き着く
最適解を決定できないんだ

これは構造的な問題であって、どんな天才でも、スーパーコンピューターでも、変数が限りなく大きくなって、最適解どころか、最適解の候補すら絞り込めなくなってしまう
詰め将棋のように論理的な思考を積み重ねていったら、結論が出るというものではなくて、結論を出すこと自体が不可能になる

「そのカオスな「決定不可能性」が面白いんじゃないか! 結論が出てしまったら、それで終わりじゃないか!」っていう、サッカーオタの主張はよくわかる
でも、それはもはや「合理的な戦術論」ではないんだ
戦術の合理性や有利性を、データ的に、理論的に説明、証明できない。論争に決着がつかない。正誤を確認できない。

結局最後は、「勘」や「センス」の問題になってしまう
でも、それは戦術というよりも、せいぜい経験則、ジンクスていどのものでしかない
勘やセンスを徹底的に排除して、合理的な選択を追求することを「戦術」というのだから

野球は決まった動きしかしないと批判する者もいる
それはそれだけ戦術が解析されて、それが最適解だと共通認識が生まれてるからなんだよ
逆に言えば、その最適解を、可能な限り間違いなく、とり続けなくてはいけない
一手間違えたら、詰まなくなる詰め将棋のように

でも、サッカーはそこまで厳密ではないでしょ
明確な戦術性がないから、22人が好き勝手動けるともいえる
どう動こうとも、それだけ大勢に影響はないんだ。全ては結果論なんだから

サッカーのそのアバウトさを否定してるわけじゃない。スポーツだからそのくらい非決定的であってもいいだろう。
瞬間的な閃きを多用しているのは確かにサッカー選手かもしれない
でも、データと状況設定に基づいた合理的な選択的思考の累積という点では、野球(捕手)の方がはるかに頭を使ってるんだよ
つまり、勘やセンスに逃げることができない、合理的戦術論という点においては、野球の方がはるかに高度で複雑なんだよ

俺がいいたいのは、野球というのは単純で、退屈なスポーツだから世界に流行らないというよりも、むしろ複雑すぎて、戦術論ももう素人が理解できるレベルを超えているから、新規参入が難しい状態になってるんだよ
むしろ、俺は野球の世界普及を考えたら、もっとルールを簡略化、単純化しないといけないと思ってるぐらいだ

野球はスポーツではなく、学問であり、それは野球の長所であると同時に、最大の短所にもなってる