木村忠寛プロデューサー

・獨協大学経済学部卒業後、1975年フジテレビ入社。ものまね王座決定戦の前身番組である
『紅白ものまね歌合戦』『とび出せものまね大作戦』や『夕やけニャンニャン』のディレクタ
ー等を経て、1987年に『オールスターものまね王座決定戦』プロデューサーに就任し、いわゆる
『ものまね四天王ブーム』を巻き起こす。

・「バカヤロ〜〜!!てめ〜〜!!」が口癖で、松村邦洋、ダチョウ倶楽部など段取りの悪い
タレントを常に罵倒し、ものまね王座決定戦の、夜から明け方まで12時間弱の収録を一人で
仕切っていた。ミスをした若手(ときには素人も)を副調整室で激しいダメ出しをするのが恒例と
なっており、殴打することも珍しくなかったため、出演者からは非常に恐れられる存在だったという。

・一方で、その性格から一切の妥協を許さない姿勢で、コロッケと喧嘩になり、他のタレント
(岩本恭生・篠塚満由美・研ナオコなど)も日本テレビ主催のものまね番組をはじめとする
他局に流出する騒動も起こしている(またグッチ裕三や布施辰徳など、流出とまではいかないが
木村の逆鱗に触れ「出場見合わせ」の扱いとなったタレントもいた)。