押井 ぼくにはコナンやナウシカのようなヒーロー、ヒロインの存在が信じられない。作品を見ているあいだはだまされてしまうけれど、しばらくして考えてみると、実生活の中では、あのキャラクターたちの行動はぜったいに納得できません。

ぼくと宮崎さんとは演出上の核の部分がぜったいにちがうんです。
ぼくには、あたるたちのギリギリのところでの人間関係は納得できるんです。個人のエゴを認めたうえでの、あの形での共同体というのはね。
でも、その他の形での関係は信じられない。

「連帯を求めて孤立を恐れず」ということばがありましたけど、置かれた状況の中からなにかを戦い取ろうとする、あるいは理想に燃えて走ろうとするような、状況から突出してしまう人間というのは、必ず疎外され、孤立するはずなんです。

だから、その過程を通らずに共同することは信じられない。ほんとうだったら、そうやって孤立することをつきつめたときはじめて、となりにいる他人が見えてきて、そしてその人が必要になるんじゃないかと思うんです。

たとえばナウシカにしても、状況から突出してしまっている少女ですよね。それが族長の娘だとか、やさしいとかで村人たちやすべての人たちから慕われ尊敬されている。
これは理解できない。
ほんとうは、彼女は疎外されるはすなんです。でも、宮崎さんの作品では、そこの部分を軽やかに通り越してしまっている。宮崎さんも参加した「ホルス」では少なくともちがう形で、この葛藤が描かれていたんですけれど。