https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180528-00000010-pseven-soci
監督辞任も常務理事には執着、内田正人氏と日大組織の異様

 内田氏はアメフト部、そしてトップの田中氏は相撲部総監督ということにも驚
かされた。相撲部監督時代から覇権を握る野心を持ち、“日大のドン”にま
で上り詰めた人物だ。日大相撲部のOBはこう話す。

「1980〜1990年代にかけて日大相撲部がアマチュア相撲のタイトルを総なめし
ていた時代の相撲部監督が田中氏で、当時は全相撲部屋に日大の卒業生を送り
込むという“野望”を抱いていた。正月には関取衆が日大に集まって監督に挨
拶するというのが慣例になっていた。監督夫人もちゃんこ屋を経営し、
“おかみさん”と呼ばれていた。まるで“日大部屋”の親方のようでした。
だが、徐々に東洋大や専修大など強豪校が増え、田中監督も興味は大学の経
営に向いて行ったようだった」

 そうして相撲部の監督とアメフト部の監督が率いた「日本大学」は、異形
の巨大組織へと発展していた。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180524-00055796-gendaibiz-bus_all
「田中ファミリー」

 「昨年9月、4選を果たした田中さんはドンとして君臨、逆らう者がいない」
(日大元理事)

 田中理事長は、現役時代、学生横綱、アマ横綱など34のタイトルを獲得し
たアマ相撲の実力者で、引退後は相撲部監督として後輩を指導、大翔鳳、

舞の海

など多くの力士を育て上げる一方、学校経営にも参画。スポーツ部を束ねる
保健体育審議会事務局を足場に、理事、常務理事と順調に出世し、08年、
理事長に就任した。

長期政権を敷く間に理事を仲間や側近で固めて、支配権を確かなものにした。
その際、自分との距離感を計るのに使うのが、優子夫人が経営する阿佐ヶ谷の
「ちゃんこ料理たなか」である。

 「そこを頻繁に利用して、田中理事長だけでなく、優子夫人にも認められ
るのが出世の条件。ばからしいと距離を置くのは健全だが、それでは田中
ファミリーの一員にはなれず、出世しない」(日大関係者)

 この日大事業部の1期生として新卒採用されたのが、フェニックス出身の井
上奨氏。

井上氏には、ビデオ出演に絡むスキャンダルがあったとされ、
その過去を封印するように内田氏が日大事業部に迎え入れた。

その後、井上氏は保険代理店出向などを経て退職。大学職員となり、
日大豊山高校のアメフト部監督を務めて宮川選手を指導。

 同じフェニックスコーチの井ノ口悠剛氏は、井ノ口氏の子息で、子供のいな
い田中夫妻、ことに優子夫人に可愛がられ、運転手を務めることもあるという。