【西城秀樹さん告別式】野口五郎さん弔辞全文「秀樹、僕はうらやましかったよ」「泣いてばかりいる」
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
2018年5月26日13時44分 朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASL5V3JHBL5VUCVL002.html
西城秀樹さんの告別式で野口五郎さんが読み上げた弔辞は次の通り。
◇
秀樹、君が突然去ってしまったことを知ってから何日が経っただろうか。皆さんに、気持ちの整理がつくまで少し時間を下さい。そうお願いしたのだけど、どうやってこの現実を受け止めて良いのか。いまだに君の言葉をいろんなことを思い出して、泣いてばかりいる。
秀樹との46年間は、簡単に語りきれるものではありません。こんな風に君への弔辞を読むなんて考えてもいなかった。僕にとって、君は本当に特別な存在だった。
ある時は兄のようでもあり、ある時は弟のようでもあり、親友でもあり、ライバルでもあって、いつも怒るのは僕で、君は怒ることなく全部受け止めてくれて。いま思うと僕と君との違いは、心の大きさが違うよね。つくづくそう思うよ。いつも僕が言うことを大事に大事に聞いてくれて、何でそんなに信用してくれていたの。
訃報(ふほう)を聞いて君の家に向かう途中で、僕は突然思い出して妻に言った。秀樹の歌で「ブーメランストリート」という曲があって、ブーメランだから「きっとあなたは戻って来るだろう」って歌詞だけど、でも戻ってこなかった人を、アンサーソングとして「ブーメランストレート」ってどう、って言ったら、それ良いねって、秀樹、大笑いして。そしたら彼本当に「ブーメランストレート」っていう曲を出してしまったんだよ。
君の家に着き、君に手を合わせ、奥さんの美紀さんと話し始めたら、秀樹の曲をかけ続けていたディスプレーから突然「ブーメランストレート」が流れてきた。数百曲もある君の曲の中で、五郎、来てくれたね、君が僕だけに分かる合図を送ってくれたのかなってそう思ったよ。
30年ほど前に、君は「チャリティーコンサートをするんだけど、その時の曲を作って欲しい」って、突然言い出した。
「秀樹、僕は人の曲は作らないって知ってるだろ」
「うん、だから作って」
「秀樹、だから作っては日本語変だから」
「うん、最後にみんなで歌う曲作って欲しいんだよ」
「秀樹、悪いけど無理だから。それ出来ないから」
「分かってる。一応締め切りはいついつだから」
「秀樹、それ出来ないからね」って別れたのに。
締め切り日ぎりぎりにパジャマを着て譜面とデモ音源を君の家に届けた僕に、まるで僕が作ってくるのが当たり前のように、玄関先で「ありがとね」って君は笑顔でひと言。完全に見透かされてるよね。
今年になってから、その曲がシングルカットされてるのを知って、僕はそれまで知らなかったんだよ。シングルカットされているのは。君のマネジャーにお願いして、音源もらって、マルチがないからCDから君の声だけ取り出して、今年2月の僕のコンサートでデュエットした。
>>2以降へ続く >>1続き
なぜ今年だったんだろう。不思議でならない。
コンサートを見に来てくださった君のファンも喜んでくださった、って奥さんから聞きました。
デビューしてアイドルと呼ばれるようになった僕らは、次はその席を後輩に譲らなければ、そして次の高みを目指さなければと考えていた。その方向が僕らは一緒だった。同じ方向を目指していた。秀樹は決してアクション歌手ではないし、本物のラブソングを届ける歌手を目指していたことを、僕は知っている。
1993年、初めての「ふたりのビッグショー」での共演。一緒に歌った「Unchained Melody」「Smoke Gets In Your Eyes」ハーモニーの高いパートは僕で、最後に格好良く決めるのは秀樹。でも僕はそんな秀樹が大好きだった。本当に格好良いと思っていた。
お互い独身時代が長かったから何でも話すようになってゴルフも一緒に行った。君が車で迎えに来てくれて、僕がおにぎりとみそ汁を用意して、夫婦かなんて言いあって。僕が「秀樹、結婚するから」って言った時の驚いた顔を忘れない。2月に僕が披露宴をしたときに、「おめでとう」と君に握手を求められた瞬間、僕にはすぐ分かったよ。あ、こいつ結婚するって。案の定、5カ月後に美紀さんと結婚した。
秋も深まったある日、妻が「もしかして子どもが出来たかも」と言いだし、驚いた僕は明日病院に行って検査してもらおうと二人で話した。そんなとき、君から突然の電話。「五郎、まだ誰にも言ってないんだけど、俺、子どもが出来た」。生まれてみれば同じ女の子で君んちが6月3日、僕んちが6月5日。まじかこれ。当然娘たちの初節句、ひな祭りも一緒に祝ったよね。
3年前、秀樹の還暦パーティーに出て、サプライズでケーキを持ってステージに出させて頂いた時の秀樹のびっくりした顔、今でも忘れられません。
さかのぼること44年前、1974年。この年僕が「甘い生活」でレコード大賞歌唱賞を取れると下馬評だったけど、君の「傷だらけのローラ」が受賞。もちろん君は欲しかった賞だし、当然うれしかったと思う。でも、君は僕の前では喜んだりしなかった。僕を気遣ったんだと思う。それから2年後、二人で受賞した。そのときは握手して二人で抱き合った。
そして40年後、還暦パーティーで僕が「抱いていいか」。「何だよ」と言われたけど、僕はそんな君を抱きしめた。その時、君は僕のことを一瞬抱きしめ返そうとした。その瞬間に君の体の全体重が僕にかかった。それは僕にしか分からない。心の中で、「秀樹、大丈夫だよ。僕は大丈夫だからね」そう思った。それと同時に、僕の全身が震えた。こんなぎりぎりで立ってたのか。こんな状態で、ファンの皆さんの前で立ってたのか。そこまでして、立とうとしていたのか。なんてすごいやつだ。
彼の大きさに驚いて、一瞬頭が真っ白になって、彼のコンサートなのに、サプライズで来ている僕が「西城秀樹です」って秀樹のファンの皆様に彼を紹介してしまった。
秀樹ほど、天真爛漫(てんしんらんまん)という言葉がぴったりな人は僕はこれまでに会ったことがない。何事にもまっすぐで、前向きで、おおらかで。出会う人を全て魅了する優しさと全てを受け入れる潔さとたくましさ。そんな君を慕う後輩がどんなにたくさんいたか。僕はうらやましかったよ。
僕もひろみも、秀樹の代わりにはなれないけど、まだしばらくは頑張って歌うからね。おまえの分も歌い続けるからね。そして君を慕ってくれた後輩たちとともに、僕らの愛した秀樹の素晴らしさを語っていこうと思います。何よりも君を愛し、支え続けたファンの方々とともに。
秀樹、お疲れ様。
そして、ありがとう。
もう、リハビリしなくて良いからね。
もう頑張らなくて良いから。
君のかわいい子どもたち、家族を、いつも見守ってあげて欲しい。そしておまえの思うラブソングを天国で極めてくれ。
秀樹、お疲れ様。
そしてありがとう。
平成30年5月26日、野口五郎。 長い言うけど公私ともにずっと付き合いがあった身内も同然だぞ いい弔辞を読んでもらえるって事はいい人生を送ったって事なんだろうな 【西城秀樹さん告別式】野口五郎さん弔辞全文「秀樹、オラァはうらやましかったぞ」「泣ぇてばかりいる」 全部読んであらためて二人の人格がわかったよ
あと郷ひろみがこの中に入れないのも納得 本当にアイドル中のアイドル同士だったろうに、こんな風に人生の友達として生きてたんだね。
最後にひろみの名前が出たことにも泣ける。 >>4
まあ、長えわな。
でも相当色々削ってこの長さなんじゃないかな。
てのはお前も解ってるのを俺は知ってる気がする。
おにぎりとみそ汁持ってゴルフ行ったとか
娘さんの誕生会一緒に祝うとか
ほんとに仲良かったんだね
これは悲しいよね・・・ >>2
長いけどくっそ泣けた…
まさにこれこそが親友やないか いい弔辞なのにコロッケが鼻糞食うモノマネしちゃうんだろうな これはニワカ西城秀樹ファンの俺も泣く。
出来れば映像で聴きたいが、それは野口五郎に申し訳ないか… 本当の芸能界で出会ったんだねどのくらい今辛いか、涙が出てきたも 生きぬいたね
おつかれさま
無職43才引きこもりより 循環器系のリハビリは、やり過ぎ厳禁なのにセオリー無視の無茶なリハビリしなければ死なずに済んだかも知れないのに。
まともなリハビリ施設行けばって思う。 今晩家族でニュース見てる時この映像流れてきたら・・・
。・゜・(ノД`)・゜・。 これ程までの親友に芸能界で出会ったんだね。子供が出来るタイミングも同じ…40年以上人生を共にしてきた、今どれ程悲しいのか。郷ひろみは二人に間に入り込めないと思う。悪い人ではないけど感性が違う気がする。 こんな関係性羨ましすぎる。
平成生まれで全盛期を知らないけれど、強烈にかっこいいと思った。 深くて長い付き合いだからこその
素晴らしい弔辞やね
合掌 1人でもこんな友人がいたなら素晴らしい人生だったと言えるだろう 本当に仲良かったんだな
仕事仲間ってだけでひとくくりにされてるひろみが気の毒になるくらい >>41
3人組ってそういうのあるよね
新御三家はグループではないけど 二人の思い出も語りながら秀樹のヒット曲のことやら受賞した賞のことやらも自然と盛り込んでていいね うわべだけの言葉じゃなくて本当にいい弔辞
クスッて笑えるところも入ってるしマジすごいわ、五郎 本当に仲良かったんだなと思う。
いつも、ヒデキは五郎の話して五郎はヒデキの話していた。
なかなか、大人になってまでの親友関係はない。私もバスのなかで読んで泣いている 今の芸能界がぬるいとは言わないけど
当時の芸能界は本当の潰し合いだったんだろな
戦友という言葉のがあってるかもしれん BS特番観たけど、いろんな曲をじっくり聴けるシンプルな構成だし
秀樹が超歌上手くてかっこよすぎだし
録画して本当によかった
フジのくせにやりおる >>50
自伝とか二谷友里恵本で性格に難あるのはバレてる。 芸能界の弔文って大体自己アピールだけだと
これほど純粋に故人を悼んでる気持ちがストレートに
伝わる文章読んだことないわ >>47 ギターやドラムや音楽の趣味が合う二人の中に入れないだろうし、仕方ない。郷には別の親友と呼べる人がいるのでは? 店頭でも西城秀樹が掛かっててさ
なんか昔を思い出すよね
昔は本当に良い曲が多かった。
いまがいかにクソなのか 秀樹は教えてくれた
秀樹のためにも安倍政権を倒しまともな政権を作らなければいけないね まぁ郷さんは誰よりも自分が大好きだから
それはそれで幸せな事だろう >>51
悲しくて、てのもあったろうけれど
マスコミ用にコメントしてたらぶつ切りで書かれちゃうようなエピソードを
しっかり1つにまとめて話したかったんだろうな 同期というより兄弟みたいな関係だったんだな
この弔辞はかなり心にきたわ… >>56
正直、もっと古い映像のが見たかった
フジなら夜ヒットの映像とか出せないんか? >>39
俺もそう思ってたけど、ネットの記事を読んでると、「もう一度ステージに立てるようにできる」と言ってくるリハビリ施設があそこだけだったんだって。
まさに歌うために命をかけてリハビリしてたんだと思うと、もうこれも運命としか言えない気がしてきた。 >>60
忌野清志郎の大竹しのぶが謎だわ伝わらないわで「??」だらけだった >1993年、初めての「ふたりのビッグショー」での共演
そういやこれいつの間に終わってたけど何で終わっちゃったの?
結構いい番組だったっぽかったよな? すごい 恋文みたいだ
奥様よりずっと長い間一緒に戦ってきたんだもんね >>15
そこに気づくとはあなたもいい人生を送っているんだろう ひろみはジャニーにちんこオモチャにされてるから感性が変わってるんだお >>70
どうみても再起不能でリハビリすればするほど弱っていったように見えるが
あのきっついリハビリが本人の希望だったのなら仕方ないか 野口五郎ってミュージシャンとしてのプライドあって優しいだけじゃないんだね
仲がいいのも素晴らしいわ 秀樹の人柄がよく分かる
死後ファンになったミーハーだけど人柄を知れば知るほど好きになる
コロッケに何百万もする舞台衣装ぽんぽんあげたりおおらかだったんだな
出目が複雑なのに擦れてないから不思議
ゴローさん少し前テレビで見たときは特許で儲けてるって言ってて遣り手なんだなと思ってたけどゴローさんも好きになった まずヒデキみたいな男前で身長180超えのモデル体型で歌上手くてドラムできてって存在が奇跡だからな
こういうありえないような存在をスターというんだと思う いいライバル関係だな
今のアイドルヲタクらも見習ったらどうだ
ライバル同士毎日醜い争いしてるだろ >>70
洗脳みたいなものだね
あの施設が「もう一度舞台に立てます」家族が「パパがんばれがんばれ」
頑張るしかなかっただろうね ブーメランストレートの件、腑に落ちたわ。
「戻ってこな〜いぃ〜」って聴き覚え、たしかにあったんだ。まぼろしじゃなかった! 新御三家同士は仲良かったけどファン同士が酷かったと生前言ってたな
特にひろみファンと秀樹ファンの対立が激しくて僕らまでそう見られてたってなんかの番組で言ってたな
さしずめビートルズとローリングストーンズみたいなもんか 美しい言葉で抽象的に語る弔辞も多い中で、
具体的なエピソードてんこもりで、自分の言葉で語ってる素晴らしい弔辞ですわ
まだ秀樹が元気だったころ、二人で語り合うところをTVで見たけど、
本当に仲が良さそうだった 軽くののしり合ったりして そこがまたよかった
その時、郷ひろみとはちょっと合わない みたいなことを遠回しに言ってたなw 芸能人の場合、放送されるから弔辞は失礼がないように代筆とかしてもらうことあるの?
全部野口五郎が考えたの? 通り一遍の表面的な弔辞だろと思ったら違った。
本当に親交があったんだな。
ちょっと泣ける。 >>79
関係ねーよバーカ
芸能人自体似たようなもんだろ >>54
あっちは師弟というか、親子みたいなもので
こっちは真の親友という感じで
どっちも他の者には分からない
二人だけの強い絆を感じられて
どっちも素晴らしいよ。 御三家のファン達ってファン同士対立してなかったっていうね
敵対視仲間なのに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています