【西城秀樹さん葬儀・告別式】野口五郎が弔辞「秀樹、もう、頑張らなくていいから…」
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野口五郎「秀樹、もう、頑張らなくていいから…」
5/26(土) 13:04配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180526-00220467-nksports-ent
https://amd.c.yimg.jp/amd/20180526-00220467-nksports-000-4-view.jpg
今月16日に急性心不全で亡くなった歌手西城秀樹(さいじょう・ひでき)さん(本名・木本龍雄=きもと・たつお、享年63)の葬儀・告別式が26日、東京・青山葬儀所で営まれた。
「新ご三家」の盟友・野口五郎(62)が弔辞を読んだ。
野口は「秀樹、お疲れさま…そして、ありがとう。もう、リハビリしなくて、いいからね。もう、頑張らなくていいから…君のかわいい子ども、家族をいつまでも見守り、お前の思うラブソングを天国で極めてくれ…秀樹、お疲れさま。そして、ありがとう」と涙ながらに口にした。
野口は「気持ちが整理するまで、時間を下さいと言ったが…君の言葉を思い出し泣いてばかりいる。46年間…簡単なことじゃない。弔辞を読むなんて考えていなかった。
君は特別な存在…ある時は、兄、弟、親友…いつも怒るのは僕、君は受け止めるだけ。君と僕は心の大きさが違うよね。何でそんなに信用してくれたの?」などと祭壇に呼び掛けた。
そして、15年に西城さんが都内で開催した還暦コンサートを振り返り「(壇上で)“抱いていいか”と言ったら『何だよ』と言って…抱き締めた。全体重が僕にかかった。心の中で『秀樹、大丈夫だよ』と思った。
でも震えた…こんなギリギリで立っていたのか、ファンの皆さんの前で立っていたのか、立とうとしていたのか。何とすごいヤツだ…彼の大きさを感じ、心が真っ白になって、彼が西城秀樹ですと紹介してしまった」と涙で声を詰まらせた。【村上幸将】 野口五郎ってギャグを言わないと嫌われると思ってんじゃね
美形少年の悲哀だな 青空よ 心を伝えてよ
悲しみはあまりにも大きい
青空よ 遠い人に伝えて
さよならと 本当に人柄も良かったんだね
悪く言う人ほんといないわ 「秀樹」芸名から法名に 告別式 弔辞は野口さん郷さん
2018年5月26日13時22分
http://www.asahi.com/articles/ASL5V2JLRL5VULZU001.html
16日に63歳で亡くなった歌手、西城秀樹さんの告別式が
26日、東京都港区の青山葬儀所で営まれた。
歌手仲間や芸能関係者、ファンら1万人強が参列。
情熱的な歌で日本の歌謡史に一時代を築き、
晩年は病と闘いながらも歌い続けたトップスターに別れを告げた。
弔辞は、西城さんと同じ1970年代にデビューし、
「新御三家」と呼ばれた歌手の野口五郎さんと郷ひろみさん。
最初に祭壇の前に立った野口さんは「秀樹と(つきあっての)46年間は簡単に語ることができない。
君は特別な存在だった。あるときは兄、弟、親友。そしてライバル。
でも君は怒ることもなく全部受け止めてくれたね」と述べた。
続いて郷さんは「同じ世代を駆け抜けていく同志という思いでした。
自分の人生をダイナミックに生きる人だと痛感しました」と語った。
74年から続けていた野外コンサートの舞台・大阪球場をイメージした祭壇は
約1万7千本の花で彩られ、組み込まれたLEDがペンライトのようにまばゆい光を放った。
中央のグラウンド部分には西城さんが愛用した白いマイクスタンドが置かれ、
「最後のコンサート」を思わせる情景が広がった。
法名は「修音院釋秀樹(しゅうおんいんしゃくひでき)」。
「音」は音楽界に対する大きな功績を表し、
「秀樹」は芸名として長く親しまれたことから、読み方もそのままにしたという。
午後1時、名曲「ブルースカイ ブルー」のメロディーが流れる中、出棺。
参列者からは「ヒデキー、ありがとう!」と呼びかける声が響いた。
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180526001233_comm.jpg
西城秀樹さんの告別式には多くのファンが詰めかけた=東京都港区の青山葬儀所 >>5
火葬場にて
「あーちーちーあーちー燃えてるんだろーかぁー♪」 分かってはいるけど、祭壇とか遺影とか棺桶とか見たら改めてつらくなってくる。
一ファンに過ぎなかった俺でさえそうなのに、、、、、 そういえば
西城秀樹のモノマネって誰かやっている人いる? 抱きしめたっていうのはこれかぁ、いいねぇ。
西城秀樹 ヒデキ還暦ライブの様子 (2015年4月) 2
https://youtu.be/8OoNNpJJKw0?t=452 五郎が布団を送ったエピソードが好きだ
気持ちがこもってるから
布団を送るなんて >>19
法名の格が案外低いな
あまり金は残ってなかったんだろうか しかしホント誰からも秀樹の悪い話が出ないな
そんなにいい人だったの? >>22
アチーチーアチー♪燃えてるんだ廊下♪(家紋!!) 舟木一夫橋爪功西郷輝彦の旧御三家よりも先に逝ったのか
そらないよ >>19
白のTシャツで来るババアは何を考えてるのか >>36
ありがとう
お見送りは沢山の人だったのかな
この辺までの行列と書かれてても地方だとわからないや おまえら弔辞読んだことあるのかよ
読んだことあるならどうだった? リアルタイムで見ていた男子は秀樹の事をよく思ってなかったと思う
それほど女子が秀樹、秀樹言ってたから
大人になってからだよな
歌が上手いとか冷静に見られる様になったのは >>41
死んだ後に悪くいうやつはなかなかいないだろ >>26
御三家全員60以上なのに、奇跡に近いな。
そのうちひとりは「鬼籍」に >>5
西城秀樹が数年前に倒れた時に「郷ひろみは昔から自由人で僕らとは違う所にいた」と野口五郎が話してた でもヘビースモーカーだったそうだから、
この人とケコーンしなくて良かった〜 外苑東通り喪服で真っ黒だったわ
人気あったんだな西城秀樹 西城秀樹って本当にスーパースターだったからな
あのレベルはそう簡単に出てこない 頑張らなくていいってもう死んだのにほんとこいつバカだな >>45
ゲームに勝ってうたばんのEDかなんか
木梨のギャランドゥを見せられる回があったな >>42
椅子並べてるから何かと思ったら椅子だらけの廊下だってさ 郷ひろみの便乗して来た感が凄い。
おまえそこまで仲良くなかっただろっていう。 >>41
ドッキリ企画で
ファンとの海外ツアー中、本人が花時計みたいなのになってる企画があって
みんなを驚かすてのがあった
あんなの普通はやらないけど、いい人なんだなあ、と思った >>69
見てる方からしたらやっぱり御三家だもの、箔がつく。
郷も気にして「僕なんかよりずっと付き合いの深かった五郎が」って昨日コメントしてたね。 >>73
葬儀場にでかでかと3人並んだ写真が飾られてて、それはちょっと…と思わなくもないけどな 御三家って言っても三人で活動してたわけじゃないしね。
郷ひろみ(バーニング)がマスコミ使ってしゃしゃり出て来てる感が凄い。 まぁ、郷ひろみのいたバーニングって徹底して、
ライバルと馴れ合うなだからなぁ。
84年組の小泉今日子も馴れ合ってなかったしなぁ。 >>17
五郎…もともと好きだがこれは尊敬
ええやつやな >>50
還暦の男性が言っていたが、当時は、秀樹にみたいになりたい!って憧れた男の子も多かったそうだよ >>76
そういうのもあって各紙見出しは「郷ひろみらが参列」なんだろうね
五郎の弔辞全文読んだけど本当に仲が良かったことが伝わってくる内容で泣けた
ずっと交流があったんだなあと
ゴルフで秀樹が車で迎えに来たとき、五郎がおにぎりと味噌汁用意してて「夫婦か」って突っ込んだくだりなんかほのぼのしたわ
郷ひろみの
>1978年、日本レコード大賞で、秀樹と五郎の2人が金賞、僕ひとりだけ名前を呼ばれることはありませんでした。
>その時の思いがバネになって、翌年、日本レコード大賞で大衆賞を取ることができました。
>2人がいたから、受賞することができたと思っています。
ライバルと思ったことありませんって冒頭に言ってたのに思い切りライバル視しててワロタ
よくも悪くも自分が前に出てしまうとこがスターなんだろうけど >>43
スレ民の世代的に、理解されなかったようだなw 秀樹がめちゃくちゃ性格良さそうなのは分かるけど
五郎もいい感じにバカというかお人好しというか良い人そう >>12
この3人って今で言う嵐とか元SMAPに相当する人気だったんだろうな、未だにこんだけ人が集まるとは >>86
テレビが全てみたいな時代だったから、比べられないぐらいもっともっと上だよ 12時からのBSの秀樹の番組見られなかった
見た人どんなだったか教えて >>12
秀樹や五郎の見た目が若々しいから世代を忘れるが、
主流のファン層はやはりこの年代なんだなあと・・ >>81
今日付けの新聞の見出しが郷からなのは昨日五郎がしゃべってないから >>17
30歳を過ぎてから仲良くなってきたっていうことは80年代後半以降
二人ともピークを過ぎてからなんだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています