日大アメフト部の“悪質タックル問題”について、22日に行われた選手の会見に反響が広がっている。

タックルをした日大選手「けがをさせるという意味で言っているんだと僕は認識していました」

“悪質タックル”に至った経緯を自ら語った日本大学アメフト部の選手。試合出場と引き換えに相手選手を負傷させるよう指示されたと説明した。21回の日本一を誇る日大アメフト部。行き過ぎた指導の背景には何があるのだろうか。

宮川選手の会見を受けて、日本大学は22日夜、コメントを紙で発表した。

宮川選手会見後の日大のコメント「コーチから『1プレー目で(相手の)QBをつぶせ』という言葉があったということは事実です。ただ、これは本学のフットボール部においてゲーム前によく使う言葉で、『最初のプレーから思い切って当たれ』という意味です。誤解を招いたとすれば、言葉足らずであったと心苦しく思います」「宮川選手と監督・コーチとのコミュニケーションが不足していたことにつきまして、反省いたしております」

あくまでコーチ、監督からの指示を否定。選手と大学の主張が食い違っている。選手は「指示された」と言っている。

■日大アメフト部はどんな組織なのか?

日大アメフト部は、部員約150人、内田前監督の下にコーチが13人いる。22日の会見で何度も名前が出てきたのが、この中の井上コーチ。

タックルをした日大選手「井上コーチから『監督におまえをどうしたら試合に出せるか聞いたら相手のクオーターバックを1プレー目でつぶせば出してやる』と言われた。『クオーターバックをつぶしに行くので僕を使ってください』と『監督に言いに行け』と言われました。(井上コーチから)『相手のクオーターバックがけがをして秋の試合に出られなかったら、こっちの得だろう。これは本当にやらなくてはいけないぞ』と念を押され『髪形を坊主にしてこい』と指示されました」

さらに、試合の直前にも、井上コーチに念押しされたという。

試合前の整列の様子からは、91番の宮川選手にコーチとみられる黒い服を着た人物が歩み寄っているのがわかる。宮川選手によると、試合前の整列の時に「できませんでしたじゃすまされないぞ、わかってるな」と念を押されたと話した。

■井上コーチはどのような人なのか?

井上コーチは宮川選手が高校2年生の時からの監督で、本人が「その頃から信頼していたのかもしれない」と言っていた。日大アメフト部のOBによると、井上コーチは守備の選手を担当。基本的に監督の指示の伝達役。内田前監督とは主従関係にあり、何も言えない立場にあるという。

その内田前監督と井上コーチが所属する日大アメフト部のトップである部長が、23日朝、初めて私たちの取材に答えた。

日大アメフト部・加藤直人部長「教員として涙が出てきましたね。本当に申し訳ない。私は教員ですので基本的に学生を守らなければいけない立場であるわけですし、教員として、やはりああいう会見の場に出させるのは本当に心苦しい」

部長は組織上はトップだが、日大の職員で学内の責任者だ。本来なら部長は、学生を矢面に立たせるのではなく、責任者として積極的に関与するべき立場ではないのかと感じる。

■日大アメフト部の歴史

日大アメフト部は1940年創部、80年近い歴史がある国内屈指の名門チーム。大学日本一を決める甲子園ボウルでは優勝21回。この長い歴史の中でも一時代を築いたと言われるのが篠竹幹夫元監督。

篠竹元監督は1959年から44年間チームを率いた監督で、部員に求めたのが、「犠牲」「協同」「闘争」3つの精神だった。チームのために己を捨てるという哲学を部に浸透させ、厳しい練習で鍛え上げた。内田前監督は、学生時代から篠竹元監督の指導を受けていて、監督が定年で勇退した後を継いだわけだ。

篠竹さん率いる日大と戦った経験のある、元日本代表ヘッドコーチ森清之さんによると、内田前監督にとっても篠竹元監督というのはカリスマ的存在だった。長時間練習も激しい練習も辞さないところが良くも悪くも日大のカルチャー。これを内田前監督が引き継いでいる。

篠竹元監督は、猛練習だけど温かさもあって「オヤジ」と呼ばれ、愛や親しみがあったが、内田前監督はそう呼ばれない。

現在の日大の対応は教育現場として何を守っているのかとクビをかしげたくなる。

2018年5月23日 19時26分 日テレNEWS24
http://news.livedoor.com/article/detail/14757746/

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