“賛否両論の登山家”栗城史多さんとは何者だったのか
エベレストで死亡した登山家の実像
森山 憲一3時間前
http://bunshun.jp/articles/-/7474?page=3
(略)

誰かが「暴走」を止めなければいけなかった

 ところが、2015年ごろから、この部分も中途半端になってきて、昨年2017年にいたっては、お粗末にすぎた。公開される映像はもともとわずかなうえに、本格的な登山活動に入ってからのものはほとんどなし。GPS発信器を携帯して、現在地をネット上でリアルタイムに表示するということも行なっていたが、発信が切れ切れのため、ときたま思い出したように表示されるだけで、ほとんど追体験ができない。フェイスブックなどでの情報発信も途切れ途切れで、ついにはそれもぱったり途絶え、どこでなにをしているのかがわからなくなった。発信が再開されたら、なんと北壁があるチベット側から、ネパール側に移動してきていて、西稜にルートを変えるという。聞いたことのないような行き当たりばったり。そして西稜への再トライも、ごく低い標高で中止となって終わった。

 つまり、登山としても、冒険共有事業としても、やっていることがあまりにも支離滅裂で、アンコントロール状態にしか見えなかったのだ。登山に限らず、アンコントロールというのはもっとも危険な状態だ。どんなに難しく思える挑戦でも、本人が情熱と確信をもって取り組んでいるかぎり、他人がそれを止める権利はないし、情熱と確信があるかぎり、望みはゼロではない。しかしアンコントロールは違う。暴走をだれかが止めなければいけない。

 登山雑誌はそれまで、栗城さんについてはほぼ黙殺状態だった。そのことについて、当事者として引っかかりをずっと覚えていた私は、それを解消するためにもブログを書いた。家族や近しい人をのぞけば、暴走を止めるべき筆頭候補は登山界なのだろうし。すると、ブログを読んだ栗城さん本人から連絡があった。「森山さんは僕のことを誤解しています」と。栗城さんは、10年くらい前に一度会ったことがあるのだが、私は何を話したのか記憶がなく、栗城さんは私に会ったことを忘れていた。おたがいほとんど知らない間柄なので、それは誤解もあるかもしれない。ならば、詳しい話を聞かせてほしいと思い、栗城さんに会いに行った。

実際に会った栗城さん本人は……

 実際に会う栗城さん本人は、にこやかで腰が低く、批判をしたライターに対しても、普通に接してくれた。だが、話に聞いていたほどのストレートな明るさはなく、どこか陰のある感じが気になった。そして、話は最初から最後まで噛み合うことはなかった。北壁は難しすぎるという私の指摘について、栗城さんは「僕は登れると思っている」と答える。その根拠を聞くと、自分は血中酸素飽和度が人より高いという、あまり本質的でない理由を繰り返すだけだった。会話は終始そんな調子で、私は栗城さんに抱いていた謎が解けることはなく、栗城さんは栗城さんで、私の言うことに理解を示してくれるようなこともなく、おたがい収穫はなしに終わった。

 そんなかかわりを持ったこともあり、その後もときおり、栗城さんのフェイスブックをチェックしていた。栗城さんの活動から受けるアンコントロールな印象は、今年2018年のトライでも変わらず、それどころかさらにエスカレートしていた。情報発信は昨年以上に少なく、その一方で、目標ルートは、北壁より難しいとされる、エベレスト最難関の南西壁にまでグレードアップしていた。南西壁という言葉が出てきたときは、いよいよ混迷は極まったと感じた。

どこで歯車が狂ってしまったのだろうか

 昔の栗城さんは、こんなことはなかった。登山ルートも、ここ数年ほど、でたらめに困難なところを選ぶことはなく、冒険の共有についても、意欲的に、主体的に行なっているように見えた。テレビで放映される派手なパフォーマンスには、好き嫌いはあっただろうが、だれかの心を揺さぶるものは確実にあったはずだ。私は心は揺さぶられなかったクチだが、その行為に一定の価値は認めていたし、なにより、意欲をもってやっている以上、部外者が口を差し挟むことではないと思っていた。

 あるときから、栗城さんのなかで、どこか歯車が狂ってきていたのだと思う。最悪の結果になり、とにかく残念――という言葉もしっくりこない。残念というのは、近しい人であったりファンであったり、なんらかの思いを寄せていた人に使うべき言葉であって、2回しか会ったことがない人に対して、軽々しく口にするのは、かえって不誠実な気がする。現段階では、なんともいえず、虚しい、空虚な感情しか抱けない結果である。

★1 :2018/05/23(水) 14:12:20.04

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