栗城史多さん 【あの人は今こうしている】
東武アーバンクラインライン・梅郷駅近くでインドカレー屋を

 22日、タレントのイモトアヤコがエベレストの女性最多登頂記録を更新した。
日本テレビの企画で山に登り始めたことがきっかけだったが、それより前にネットやテレビで「冒険の共有」を旗印に一躍時の人となった登山家(自称)がいた。栗城史多さんだ。重度の凍傷で片足を切断し、
18年に35歳の若さで引退した栗城さん、今どうしているのか。

●暖簾の屋号の文字は野口健氏の手によるものだ

「いらっしゃ〜い」。東武アーバンパークラインライン梅郷駅西口から歩いて3分。「インドカレー マロン」の栗色の暖簾をくぐって店内に入ると、ターバンを頭に巻いた栗城さんの元気な声に迎えられた。

「何にしましょう? ウチは本場のインドスタイルなので、手掴みでカレーを食べていただきます」

 ナンは厚・薄2タイプ、タンドリーチキンは280円から。680円からあるカレーはこの日、12種類並んでいた。

「去年の4月にオープンしました。暖簾の『マロン』という文字は友人の野口健さんに左手で書いていただいたものだし、開店に合わせてスポーツ紙やテレビでも取り上げてもらったおかげで、県外から足を運んでくださるお客さんが多かったのはうれしかったですね」

 とはいえ、その分、プレッシャーも大きかったという。
「カレー好きは飛行機に乗って本場・インドまで食べ歩きに出かける時代でしょ。ボクが修業した高岡の老舗『カシミール』は旨味が強くてスパイス感があるのが特徴だから、火を噴くくらいに辛さがあるのがインドカレーだと信じ込んでる人にはモノ足りないようなんです。
それで怒られちゃったこともあるけど、それも修業のうち。我慢、我慢です」

●朝11時から午後2時まで。「夜までは体がもちません」

 店を訪れたのは午前11時過ぎ。中途半端な時間にもかかわらず、客足は途切れない。
「朝11時開店の午後2時店じまいもインドスタイルです。“夜もやってよ”と常連さんに
よくいわれるんですが、ナンを練るのも焼くのも、カレーを作るのもボクひとり。
登山で鍛えたといっても、夜までは体がもちません」

 ちなみに、梅郷からは夫人の実家が近い。

 さて、04年、アラスカ マッキンリーに初登頂した栗城さんは、 2年目には早くもアコンカグア登頂。08年にはマナスルに登頂したと主張していたが、ヒマラヤンデータベース、日本山岳会双方からも登頂を認定されていない。

「でも、その頃からエベレストへの登頂を強制されていましてね。 何度もアタックを試みては失敗。13年、泣く泣く指を切断しました」

 そんな折、日本テレビ出身でプロデューサーの土屋敏男さんに紹介され、「カシミール」で未入籍だった夫人と1年半のカレー修業。その後、開店にこぎつけた。

「去年の11月に長男が生まれ、仕事が終わったら自宅直帰です。子供と毎日遊べて、成長を肌で感じる喜びを実感してます。講演会回りが多いプロ下山家よりも、カレー屋の店主になって
正解だったんじゃないでしょうか」

(終)