【芸能】<西城秀樹さん死去>63歳…「ヤングマン」「傷だらけのローラ」など大ヒット曲多数 ★7
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「傷だらけのローラ」「YOUNG MAN(Y.M.C.A)」などのヒット曲で知られる歌手の西城秀樹さん(さいじょう・ひでき、本名=木本龍雄、きもと・たつお)さんが死去した。63歳だった。2003年と11年に脳梗塞を発症した西城さんは、後遺症やリハビリと闘いながらステージに立ち続けた。郷ひろみ(62)、野口五郎(62)らと「新・御三家」として70年代に一世風靡(ふうび)した。
永遠の“ヤングマン”が天国へと旅立った。
48歳、56歳の時に脳梗塞を2度発症。右半身のまひや言語障害などの後遺症が残ったが、壮絶なリハビリで回復。4月にコンサート出演するなど、最後までステージにこだわった。
甘いマスクに長髪をなびかせ、エネルギッシュに熱唱するスタイルで女性ファンをとりこにした。1974年には「傷だらけのローラ」で日本レコード大賞歌唱賞を受賞。「薔薇の鎖」では敬愛する英歌手ロッド・スチュワートばりにスタンドマイクを振り回すアクションで人気を集めた。
79年の「YOUNGMAN」は約140万枚の大ヒットを記録した。自身も考案に携わった「YMCA」の4文字を両手で表現する振り付けも大流行。80年のセンバツ高校野球大会の入場行進曲、近年はCMソングに起用され、世代を超えて愛された。
音楽を愛し続けた63年間だった。ジャズ好きの父親の影響を受け、小学3年生で地元のジャズスクールに通いドラムを始めた。中学1年生の時は3歳上の兄らとバンドを結成し、ビートルズなどの楽曲を披露。楽器を購入するために新聞配達のアルバイトもこなし、岩国の米軍キャンプでも演奏した。
広島・山陽高時代にジャズ喫茶で歌っていた時にスカウトされ、「ワイルドな17歳」をキャッチフレーズにデビュー。郷、野口と“新御三家”としてスターへの階段を駆け上った。私生活では46歳まで独身を貫いたが、2001年に妻・美紀さんと結婚。2男1女と子宝に恵まれた。
幸せまっただ中の03年、突如病魔に襲われた。ディナーショーで訪れた韓国・済州島で脳梗塞を発症。11年に再発し、右足を引きずるなど後遺症が残ったが、家族に支えられながらリハビリに励んだ。1日3〜4箱吸っていたタバコも断った。60歳を迎えた15年4月にライブを開催し、「ヒデキ、還暦!」とさらなる活躍を誓っていた。
西城さんは09年にスポーツ報知のインタビューで、死ぬ間際まで役者人生を全うした緒形拳さん(08年死去)を理想に挙げた。「緒形さんのように自分の体が滅びていくまで仕事ができるか。僕は弱い人間だから自信がないけど。これからさらに鎧(よろい)がもう一つできて強くなれるかな」。その言葉通り、最後まで歌手人生を全うした。
スポーツ報知 5月17日(木) 12:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180517-00010000-spht-ent
写真
https://amd.c.yimg.jp/amd/20180517-00010000-spht-000-1-view.jpg
2018/05/17(木) 12:32:28.58、
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1526535817/ 40代まで、異様に若々しかったのに
数年前に車椅子でヤングマン歌ってるのにすっごくおじいちゃんになっててびっくりしたわ
・・・やっぱ病気か結婚か 秀樹は誰よりも先駆者だったな
死ぬのも早くする事ないのに 水泳大会のバタフライは忘れられんわ
カッケーて子供心に思った >>13
ローラの熱唱やべーなwww
21歳ぐらいか?
すごい才能やわ
63てまだ若いなあと思うけど脳梗塞二発で流石にガタがきてたんだろうな 速報出て真っ先に考えたのは、ちびまるこのお姉ちゃん
後追い自殺しかねんなってことだった
あっちはフィクションなのに あなたは一万光年の人 ←のっけからテンション上がる ミスターは身体は不自由そうだけど血色もよくて元気そう 安倍総理、所ジョージ、竹内まりや、ヒデキ
63歳の四天王。 >>77
還暦のお祝い映像なんかもう70歳と言われてもおかしくないくらいだった
あんだけ病気してたらガッツリ体力もっていかれるからな 今日は全国的に、バーモントカレーが売れそうな予感。 うちもそうするけど (; ・`ω・´) ブルースカイ・ブルーあたりから
少し違ったいいものが出てきた印象 今日からしばらくは全国のカラオケで秀樹が唄いまくられるな あの歌い方は血管によくないと当時から言われていただろ!? >>1
幼馴染に秀樹をオデキと言われて泣いた思い出 好きな曲ベスト15
情熱の嵐
ちぎれた愛
恋の暴走
薔薇の鎖
君よ抱かれて熱くなれ
ボタンを外せ
ジャガー
ブーメランストリート
ブーツを脱いで朝食を
ブルースカイブルー
炎
ジプシー
聖少女
南十字星
ギャランドゥ あんだけデカい声でシャウトして、コンサートとかで最後まで歌えたんかな
相当、声帯が強かったんかもな >>35
忘れもしないジャニーズ好きでバンドを知らなかった時代
お昼の放送を聞いて西城秀樹バンドはじめた?と聞いて馬鹿にされたあの日 >>74
木本って木下や金村や金田みたいに
鉄板なの? 前スレによると3歳サバ読んでたらしいがそんなもんだったんだ
5歳以上誤魔化してると思ってた どっからどう見ても糖尿だったしまたどっかの血管破れたんやろなぁ 名曲いっぱいだ、、、歌唱力抜群のスーパースターだわ。悲しい。ご冥福を心よりお祈り致します。 秀樹もミスターも偏食で有名だったからなあ。
やっぱりバランスよく食事しないと駄目だよ。 水飲まずにサウナ入ってからだ絞ろうとして脳梗塞になったんだっけ最初
体によくないトレーニングしすぎ 有名人がバタバタ死んでるのに全身ガンの樹木希林が全く死ぬ気配のない件 俺の中では銀河英雄伝説のミッターマイヤー元帥は西城秀樹がモデルだと思っている。 >>35
オンリユーは当時西城秀樹が歌っているのかと言われてたぞ >>1
♪若いうちは
やりたいこと
何でも出来るのさ♪
この言葉に何度励まされたことか。
例え在日でも帰化して日本人として生き抜いた西城秀樹は素直に讃えるよ。
自分も50になるけど今も若いつもりで毎日頑張ってる。
秀樹青春をありがとう。
安らかに。 脳梗塞で倒れた後に子供2人作った時は
驚いた
案の定2度倒れた >>98
カラオケ印税で遺族を慰めてほしい・・・。 ヒデキが死んでショックのあまりに
とち狂ったレスしてるヤツがいるなw 西城秀樹の結婚式は神式だった
だが韓国でもコンサートをしていた
二国間で色々悩んだと思う
さらに病気にもなったが頑張った
別にファンじゃなかった寂しいよ >>14
フジのバイトで気さくに話しかけてくれた。
良い朝鮮人だった。李寓閣下を思い出す。 新御三家の中で
野口五郎はやや地味目
郷ひろみはちょっととんがった感じ
西城秀樹が、一番大衆向けに合致したアイドルって感じだったな
あの頃の長髪が、子供らの基準長髪みたいな感じで
短い髪型は恥ずかしいダサい奴ってなもん 西城秀樹は男子に人気あったんだよ
ウルトラマンとか仮面ライダー的なアクションがあったから
その後少年たちの興味はブルースリーやマカロニ刑事へ まだ若いのにとかいうけど
血管系の病気は
逝くには普通の年齢なんだがな・・・ 仕事に対してストイックすぎたから知らず知らず体を酷使してたのかもな
でも本当にカッコ良かったわ >>127
故衣笠さんと一緒だな
衣笠さんは大腸癌
野菜は牛が食うもんや
と名言はいた 女の事を「貴女」って歌ったアイドル歌手も秀樹が最初じゃないか
B'zの稲葉とかにも影響与えてそう >>139
韓国人の御両親は他界されてるよね
やはり日本式の葬式だと思う >>159
やめろと言われても
今では遅すぎた?
生存中は出せなかったスキャンダル(高解像度版)
西城秀樹が加賀まりこと六本木のSMホテル「アルファイン」でプレイ中に撮影した写真が中国サイトに掲載
http://www.laobaixinghu.com/?fromuid=5284
普段Sとしか思えない加賀まりこが実はMで、なんとなくMっぽい秀樹がSとは意外・・・
しかし、今となってはいい記念写真だな
4号機でヒデキあったよな?
まあまあ面白く結構出た記憶が ヴィレッジ・ピープル(以下VP)というアメリカのユニットがいて、
彼らはゲイピープルをモチーフにした曲を次々と歌いヒットさせた
メンバーの中に実際ゲイが何人かいたが、だからと言う訳でもなく
ゲイの間で人気の職業や場所をテーマにした曲を、たくさん作った
VPの最初のヒット曲は「マッチョマン」、これは言わずもがなだろう
「イン・ザ・ネイヴィー」は海軍をモチーフにしているが、その実は
「男たちの巣窟に君も入隊しないか?」というゲイ丸出しの色物ソング
「ゴー・ウエスト」も、歌詞では「西へ向かおう」としか歌っていないが
これはアメリカ西部にある大きなゲイタウン、サンフランシスコを歌った曲だ
そして「Y.M.C.A.」は、言ってみれば青少年福祉センターのようなもの
本来はキリスト教が関係する敬虔な団体であり施設なんだけど、実際は
スポーツジムやドミトリー施設があり、キリスト教に関係なく若者が集ってた場所
ゲイにとっては、今でいうハッテン場として賑わっていた場所だ
VPには他にも「ホット・コップ」(警察官)「ファイヤーマン」(消防士)など、
ゲイに人気の高い「制服系の職業」を称賛する曲が、とにかく多い
詞の内容はどれもそんな感じだが、サウンドは70年代後半のディスコの王道で
どの曲も大変よく売れた、その中の「Y.M.C.A.」に渡米中の秀樹が目を付けた
どちらかと言うと完全に色物として売れていた曲だ、周囲は反対したが
秀樹と当時のマネージャーは「これは行ける」と確信し、秀樹によく似合う青春ソング的な
日本語詞を、作詞経験のないマネージャーが直接書いて録音に漕ぎ着けた
あまがいりゅうじという名前がその人だ、これが「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」の誕生秘話
実際はYMCAのCはクリスチャンなのだが、日本語詞のYMCAは、あまがい氏が
Young Man Can do Anythingという風に変えて、そのような詞をつけている
YMCAの手文字は秀樹サイドが考案したが、後に本家のVPが秀樹本人から
それを伝授され、彼らも手文字をつけて歌うようになっている
これが大ヒットし、次作の「ホップ・ステップ・ジャンプ」もマネージャーが詞を
書いたが、その際に「天下井隆二」から「山崎光」というペンネームに変更している サウナと酒が好きだったのは知っていたが
タバコは梗塞後に止めてるんだな
しかしちびまるこの姉の会話のイメージが強いなw
昭和の食卓そのままだったのだろう残念だねやっぱり梗塞後は苦労してたんだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています