明治期になって平野姓を名乗れた百姓身分だが、江戸期は小藤屋って屋号で、
太田街道に家があったので万が一水戸の殿様、つまり例えば水戸の光圀公が
お休みになりたいといったら ってんで対応できるように、そのための
部屋用意していたんだぜ。家柄はともかくそこは自慢。