>>806つづき

【小保方とSTAP関係者の時系列まとめ2/2】※これを読めば主犯は誰なのか早わかり

2011年3月、常田・武岡(早大)/大和・バカンティのD論査読で小保方は世界共通の博士号Ph.Dを取得
早大卒業し、若山に「明日から行っていい?」と、若山研の客員で理研CDBに潜り込む
2011年11月、若山研で小保方は、酸刺激で初期化し多様性幹細胞『刺激惹起性多能性獲得細胞』
になるという生物学の常識を覆す(バカンティと大和の構想通りの)発見をする(本人談)

他に『毒素や熱刺激でも幹細胞になる』と発見、酸が最も効率的で100回も再現成功(本人談)
12年3月、若山(マウス担当)が山梨大に移る、理研で後ろ盾を失う中、翌4月にSTAP論文投稿
12年夏、ネイチャーから「生物学の歴史を愚弄」と酷評され却下、泣き明かす(本人談)

2012年秋、小保方は理研PIに自薦応募しプレゼン、若山除く理研の共著者が初めてSTAP研究を知る

当時IPS山中がノーベル賞の受賞で政府支援が決まり、同分野の権威だったCDB副所長の笹井は
同級生の山中への対抗心からSTAP研究に飛びつき、共著に理研の著名科学者7名が加わる
小保方は辻褄合わせに改竄や剽窃、無関係の画像流用し論文執筆、笹井は実験構成し執筆を手伝う

2013年12月、ネイチャーがSTAP論文の掲載許諾する(CDB上層部がSTAP研究を知った1年後)
翌1月末に理研と早大が会見、関係者はノーベル賞級の偉業だと吹聴しiPSのネガキャン開始
※若山は英語が苦手で論文が書けずSTAP論文も読ませて貰ってないと会見で話す

しかし僅か数日で、カリフォルニア大のノフラー博士はじめ研究者からSTAP論文の疑義が噴出
世界中の研究機関で追試が成功せず、論文はオープンアクセスになる
岡野や大和は雲隠れし理研も沈黙、山梨大の若山のみが真摯にメディアや研究者に説明を続ける

2月末から小保方は精神耗弱を理由に休職し連絡がつかず、3月に若山は会見で論文撤回を呼びかけ
小保方提供の試料がSTAPかES細胞かを鑑定依頼したと発表し、世界の報道機関が一斉報道

ようやく国内TVメディアも疑惑を報道、4月に小保方が会見し「STAP細胞はありまぁす」

笹井や理研CDBは世間から非難を一手に浴びたが、実は勇み足で最後に貧乏クジを引いただけ
そしてSTAP発案、STAP論文シニアオーサーの東京女子医大の大和は病気を理由に逃げ切った