鉄人・衣笠祥雄氏は、なぜカープの監督になれなかったのか
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1804/25/news062.html

間違いなく誰もが認めるスーパースター。ところが非常に不思議なことがある。
1987年のシーズンをもって現役引退後は一度も指導者としてユニホームを着ていないのだ。65年に広島へ入団して以来、23年間に渡ってカープ一筋の生え抜き。
誰しもが認めるカープの功労者だ。

これだけの偉人で実績十分な衣笠氏であれば、文句なしにカープの監督としてタクトを振るう資格があったはずである。
ところが、ついに古巣の監督どころかコーチにすら就任する機会が巡ってこないまま天に召されてしまった。

ただチームOBや球団関係者、また現場首脳陣やスタッフ、選手の間でも衣笠氏の指導者としてのカープ復帰が難しかったことは広く知れ渡っていた。
その理由としてウワサされているのが球団経営陣との「確執」だ。

特に現在の3代目オーナー、松田元氏とは「もともと折り合いが悪い」とささやかれており、そのイザコザを生んだきっかけについてもさまざまな説が水面下では飛び交っている。

・カープの現経営陣と衣笠氏の関係

「実は衣笠氏が現役時代に松田元氏の実父で当時の2代目オーナー、耕平氏と親しい関係にあったことにも深く起因している。
 歯に衣着せぬ言い回しでズバズバと耕平氏と直々にマンツーマンで話ができる立場だった当時の衣笠氏に対し、後々オーナー代行の座へ就くことがほぼ約束されて松田家の跡取りとして帝王学を学んでいた元氏が、どうやら強い警戒心を覚えたらしい」

「元さんはオーナー代行になって以降、球団経営の権限を握ると、キヌさん(衣笠氏)が監督になればコーチを含めたスタッフは自分の息のかかった人物で固めるだろうと考え、それを嫌がって指揮官就任を頑として認めようとしなかった。
 要するに衣笠体制にゴーサインを出せば、球団主導でスタッフを決められなくなり自分たちのコントロールが効かなくなることを元さんは恐れていた。

スタッフの選定作業は球団がすべて行うという条件を本人が飲んでいれば、おそらく衣笠監督は誕生していただろう。
実際、本人にそういう条件で『監督をやらないか』というような話はもたらされたらしい。
ただキヌさんが、その打診に『NO』の姿勢を貫いたそうだ」――。

これらの話は確たる裏づけがなく噂話の領域を出ない。
ただし赤裸々に当時についてこのように回想しながら指摘するカープ関係者やOBが複数いることは確かだ。

いずれにせよ、はっきりと言い切れることは残念ながらカープの現経営陣と衣笠氏の関係があまり良好ではないという点だ。
現に衣笠氏の訃報が明らかになった24日の時点で球界有識者たちの追悼コメントも次々と各メディアを通じて世に出回ったものの、松田元オーナーの言葉は公にされることはなかった。
カープであれほどの功績を残した功労者に球団トップの人物が何も口にしないという図式は理由はどうあれ、やはり不可解だ。