レプロの本間自身は永遠に能年を芸能界から抹殺する気だっただろうな。
だから能年が完全に芸能界から干されて引退するまでホームページに能年写真を掲げるつもりだっただろう。
16年の7月の双方の弁護士の話し合いで法律的には完全に双方の弁護士の間で合意していた能年の独立だったが、いちゃもんをつけてレプロ事務所が能年玲奈としては完全にレプロの支配下にいるようにテレビ局とかに思わせた。

テレビ局とかも能年玲奈がレプロから独立したのは「この世界の片隅に」が大ヒットしている時には完全に承知していたはずだが、芸能界のオキテとか芸能界の忖度とかで能年玲奈はまだレプロにいるはずだ、と自分自身に納得させていた不思議な状況があった。
芸能界ってそういうヤクザな体質をずっと続けてきた業界で、その芸能界のオキテで完全に息の根を止められたタレントは数知れない。

能年(のん)はそういう芸能界のオキテに真っ向から立ち向かったジャンヌダルクなのです。
まだまだ勝負がつくとは思っていないが、まずはじめの一歩は踏み出した。