ここに来てシーズンオフの去就が騒がしくなっているエイバルの日本代表MF乾貴士。当初は6月末で満了するエイバルとの契約を延長するものと思われていたが、最近はベティスへの移籍が濃厚と伝えられている。

 乾の新天地として浮上したベティスは、マドリード、バルセロナ、バレンシアに次ぐ、スペイン第4の都市であるセビージャに拠点を置く。アンダルシアの州都が誇る2大クラブの1つであり、地元のライバルであるセビージャとの関係を抜きにして、その存在を語ることはできない。

 セビージャの創設から遅れること17年後、1907年9月に産声を上げたベティス。そのきっかけはセビージャの内部分裂にあり、同クラブから離反した役員によって旗揚げされた経緯を持つ。つまり、ベティスは誕生した時点からセビージャと激しく対立しており、それがそのままクラブやサポーター間の激しいライバル関係となった。その強烈な対抗心が頂点を極めるのが両者の直接対決であり、“セビージャ・ダービー”はスペインで最も激しいダービーとして知られている。

 とはいえ、クラブの規模や実績において、ベティスがセビージャに大きく見劣りすることは否めない。両者ともリーガ・エスパニョーラ1部での優勝回数は1回だが、2部で過ごした通算期間は、セビージャが13シーズンであるのに対し、ベティスは28シーズンもある。セビージャが味わったことのない3部でのプレーも、ベティスは7シーズンに渡り経験している。また、コパ・デル・レイの優勝回数も、セビージャが5回を数えるのに対し、ベティスは2回にとどまっている。

 両者の格差は近年さらに広がっており、セビージャが17シーズン連続で1部に所属している一方、ベティスはその間に2度の2部降格を経験している。それは欧州の舞台においても同様で、セビージャが今世紀に入ってヨーロッパリーグを5度(UEFAカップ時代を含む)制しているのに対し、ベティスはクラブ史上まだ国際タイトルが1つもない。今シーズンの予想収入に目を向けても、セビージャの2億1240万ユーロ(約278億2000万円、リーグ4位)に対してベティスは8766万ユーロ(約114億8000万円、同10位)と、およそ2.4倍もの開きがある。とはいえ、エイバルの5597万ユーロ(約73億3000万円、同17位)と比べれば、ベティスは数段上の予算規模を有している。

 歴史的にセビージャの後塵を拝しながらも、ライバル意識をむき出しに戦い続け、降格を何度も繰り返しながらも、その度に困難を乗り越えて来たベティス。それだけに、サポーターの七転八起の精神は天下一品だ。それを最も良く表しているのが、「ベティス万歳、たとえ敗れようとも」(Viva Betis manque pierda)という、1954年に7年振りに3部から2部へと復帰した際に生まれた、スペインでは誰もが知るアンダルシア訛りのスローガンだ。「馬鹿な子ほど可愛い」とは言ったものだが、ベティスほど熱狂的なサポーターを持つチームはそうそうない。

 こういった背景も相まって、個性豊かな味のあるクラブとして認知されているベティスだが、それは「レアル・ベティス・バロンピエ」という正式名称からも伺える。元々は、富裕層にファンが多いセビージャに対し、労働者階級層にファンが多いベティス。その一方で、スペイン国王から「レアル」の冠号を与えられた由緒あるクラブの1つでもある。また、殆どのクラブが「フトボル」という英語の「フットボール」をそのまま代用した単語を名前に付しているのに対し、ベティスはスペイン語の「バロンピエ」(直訳すると「球足」)を使い続けている。日本語でイメージするなら、「蹴球倶楽部」と言ったところだろう。

 独自の存在感を示しているとはいえ、大多数のクラブと同じくシーズンの最大目標は1部残留になるベティス。だが、サポーターの熱狂的な応援が爆発的な力となって表れるシーズンが数年に一度ある。2004‐05シーズンには、コパ・デル・レイを制覇したうえ、リーガ・エスパニョーラで4位に入った。当時の主力である元スペイン代表MFホアキン・サンチェスは、2006年夏に一度チームを去ったものの、2015年夏に9年振りに復帰して主将を務めている。