ビートたけし独立事件の裏側(2)──浮上するマッチポンプ疑惑
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『週刊大衆』(1987年12月21日号)に「太田プロ関係者」の次のような談話が紹介されている。
「いまから四年前、たけしさんは独立するつもりで自分の側近に声をかけ、密かにスタッフ集めまで始めていたんです。そのときは、結局ウヤムヤに終わってしまいましたがね」
86年度の太田プロの申告所得は、3億5000万円で、芸能プロダクション全体で3位にランクインするほどだった。その稼ぎの大半はたけし絡みだとされていた。
当然、太田プロとしては稼ぎ頭のたけしの独立を認めるはずはない。もし、たけしの独立がスムーズに行なわれれば、片岡鶴太郎や山田邦子など他の所属タレントにも追随の動きが出てくる可能性もある。
太田プロが加盟する芸能プロダクションの業界団体、日本音楽事業者協会ではタレントの引き抜き禁止、独立阻止で一致団結している。
たけしが独立を強行すれば、業界全体から干される可能性が高いのである。たけしが4年前に独立を断念したのは、そうした芸能界の政治力学が分かったためであろう。

◆「オイラは紳助と違う」
では、なぜたけしは、88年2月にオフィス北野を立ち上げて独立を果たせたのか。これも芸能界の政治力学が大きく絡んでいると考えられる。

『アサヒ芸能』(88年3月10日号)が「ビートたけし『オレはハメられた!』巨額“独立御礼金”の計算違い」と題する記事を掲載している。
記事によれば、日本青年社とたけしの手打ちを実現するためにかかった7000万円は、たけしの借金という形で残り、さらにお世話になった芸能関係者それぞれに対し、独立後の3ヶ月間毎月200万円支払うという話もあった。
日本青年社との和解工作で動いた関係者は15人ほどと言われていたから、9000万円程度の費用となるから、先の7000万円と合せて1億6000万円の借金を抱えることとなったというのである。
そして、たけしは元所属事務所の太田プロにも解決金を支払うことで合意したという。たけしは、独立と同時に巨額の負債を抱えることとなった。
たけしが「オレはハメられた!」と言うのは、成り行きで借金を抱えることになったのではなく、最初からシナリオができていたのではないのか、という疑念があったからだろう。

『週刊文春』(2011年9月29日号)で、島田紳助が暴力団関係者との交際を理由として引退を表明したのを受けて、たけしが日本青年社との手打ちの真相について次のように明かしている。

「これまで何度も右翼団体から街宣活動をかけられたことがあったけど、オイラは紳助と違う。ヤクザに仲介なんて頼んだことない。最初はフライデー事件の後、日本青年社に『復帰が早すぎる』と街宣をかけられたときだな。
一人で住吉の堀さん(政夫氏、当時・住吉連合会会長)のところに行って、土下座して謝ったの。その後、右翼の幹部にも会って、それで終わりだよ」

「オイラの行くとこ、行くとこ、街宣がかけられているのに、当時の事務所は何も動いてくれないから、『自分で話をつける』って全部、一人で回ったんだよ。えれぇ、おっかなかったけど。
堀さんに謝ったら、小林さん(初代日本青年社会長)と衛藤さん(豊久氏、二代目日本青年社会長)のところへ行けって。それで二人の前で『芸能界辞めます』って言ったら、『まだもったいないだろう』という話になった。
街宣をやめる条件は、当時の事務所を辞めるってこと。『お前は生意気だって噂もあるから、気を付けろ』って怒られて、赤坂でスッポンをご馳走になって帰ってきた。そのとき、色んなヤクザから助けてやろうかって言ってきて、それを断るのも大変だったよ」
タレントであるたけしは、立場上、直接的にも間接的にもヤクザや右翼にカネを払ったとは言えない。ここで重要なのは、日本青年社側が街宣中止の条件として、たけしに太田プロを辞めることを要求してきたということだ。
太田プロも所属する業界団体、日本音楽事業者協会(音事協)では、加盟プロダクション同士でタレントの引き抜きを禁じている。たけしが他のプロダクションに移籍することは基本的にできないから、独立せざるを得なくなったのである。