僕は多田野がファイターズに来るんじゃないかと想像していた。実は森本稀哲の実家、日暮里の焼肉「絵理花」(今は閉店)に、
ファイターズの球団関係者と「インディアンスの多田野選手」が会食に訪れていたのだ。僕は絵理花の常連客とツーカーだった。そんな情報は筒抜けだ。
といっても情報を切り売りするタイプのライター業じゃないから、おお、そんなのが決まったら面白いなぁと思ってただけだ。なーんも役立てなかった。そういうことにまるで関心がない。

案の定、2007年ドラフト(大学・社会人)でファイターズ入りが決まる。まわり道したけれど、NPBの1巡目指名選手だ。
米球界でつかみ取ったものを生かすチャンスだ。多田野は心中、期するものがあったろう。が、またアクシデントだ。
1月自主トレで都内をランニング中、転倒、左手首を骨折する。1月中旬に手術になった。大事なNPBデビューにいきなり出遅れる。
このシーズンはリハビリに2ヶ月以上費やし、5月の楽天戦でやっと1軍デビューを果たす。これがMLB同様、初先発初勝利だった。
不思議な選手だ。持ってないかと思うと持ってるんだなぁ。だけど、キャンプを棒に振ったツケがシーズン後半にやって来る。夏場以降さっぱりだった。

僕はこの2008年シーズン、多田野がNPBで初めて投じた超スローボールを生で目撃している。ラストイヤーの広島市民球場だ。
6月18日、打者はスコット・シーボル。1ボール2ストライクからの4球目、ボールが重力を放れ、上空へ浮かんだ。
そして、すーっと落ちてきて、シーボルがこれを引っかける。ショートゴロ。球場がどよめいた。
この試合、多田野は広島・前田健太に投げ負ける(マエケンNPB初勝利!)のだが、僕はすごいもんが見れたと大満足だった。あれが見れたのはやっぱり縁があるんだろう。


・超スローボールで現役に別れ

その後、多田野は2009年に9回2死までノーヒットノーランを続けて、ロッテ大松尚逸に記録阻止される。
2010年にはいったん戦力外通告を受け、その年のうちにやっぱり再契約ということになる。
それから有名なのは2012年、日本シリーズの巨人・加藤健への危険球退場だ。あの球はぜんぜん加藤に当たっていなかった。
憮然とした表情でマウンドを降りる多田野の姿が忘れられない。いずれも思うようにならない球歴の真骨頂じゃないだろうか。

BCリーグ・石川ミリオンスターズの投手兼任コーチとして現役を終え、今年から「統括本部プロスカウト」としてハムに戻ってくることになった。
だからファイターズのユニホームを着ての引退セレモニーが実現したのだ。久々に札幌ドームのマウンドに立った多田野はにこやかだった。
もちろん自慢の超スローボールを投じた。僕は実況席で拍手だ。

「思うようにならない球歴」はきっと彼の財産になる。気づけば日米のトップリーグとマイナーリーグを経験し、多くの人脈を持ち、野球を見る目を養った。
逆風のなかで闘ったことも必ず身になる。まわり道は彼の経験値を高めたはずだ。それを第二の人生で生かしてほしい。

札幌ドームの外が大荒れの日、多田野数人はそのキャリアにけじめをつけた。おつかれ様。ありがとう。おかえり。札幌ドームの中は温かい拍手と声援に包まれていた。

えのきどいちろう

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180312-00010003-baseballc-base&;p=2