貴乃花一門はこれからどうなっていくのだろうか。貴乃花一門は8年前の2010年1月、年功序列で選ばれていた理事候補選びに反発した貴乃花親方を中心に、
7人の親方たちが二所ノ関一門を離脱し結成された。ただ、このときはまだ一門とは認められず、『貴乃花グループ』と称した。

当時の貴乃花親方は引退して7年しかたっておらず、年齢も38歳。閉鎖的で旧態依然とした体制に反発し突っ走る若き集団の行動に、世間は注目し快哉(かいさい)を叫んだ。

以来、貴乃花一門は貴乃花親方を中心に運営されてきた。貴乃花親方あっての一門でもあったのだ。ところが、先の理事選でその貴乃花親方が一門の統一候補から外された。
一連の騒動が大きく影響したとはいえ、4期連続当選し一門の名称にまでなっている貴乃花親方を斬るというのは異常事態だ。

どうしてこうなったのか。貴乃花親方はその経緯について週刊文春のインタビューで次のように語っている。

「年明け、一門のみなさんと久しぶりに会ったら、『(出馬は)降りてくれ』という話になっていたんです。(中略)蚊帳の外になっていたこともあって、正直、戸惑ったのは事実です」

つまり、内部でクーデターが起こっていたのだ。裏に何があったのか。謎を解くカギは、昨年の暮れに時津風一門から離脱し、今回の理事選で貴乃花一門に合流する動きを見せた錣山親方(元関脇寺尾)が握っているようだ。

現役時代、錣山親方と阿武松親方(元関脇益荒雄)はとても仲が良かった。ともに熱血漢の2人が再接近する中で、
貴乃花親方に代わって阿武松親方が理事選、錣山親方が副理事選に立つ案が持ち上がったことは容易に想像できる。結果は阿武松当選、錣山落選と明暗を分けたが。

理事選後、阿武松親方は落選した貴乃花親方について「大切な仲間、友人です」と話し、友好関係を維持していくことを強調している。しかし、一度こぼれた水は盆には戻らない。
春場所前恒例の一門の連合稽古や激励会も、今年は中止になったという。

貴乃花一門はこれまでのような一枚岩の結束を保てるか。大きな岐路にさしかかっている。

■大見信昭(おおみ・のぶあき) 1943年8月30日、鹿児島県生まれ、74歳。70年フジ新聞社(後に産経新聞社と合併)入社。大相撲を中心に取材歴50年に迫る。

夕刊フジ / 2018年3月12日 17時5分
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