1年前に現役引退を表明したフィギュアスケートの浅田真央(27)は先月(2018年2月)、平昌オリンピックの競技会場にいた。
フィギュアはもちろん、スピードスケート、スキージャンプ、ハーフパイプなどの種目を観戦した。

しかし、「(競技は)やりきったという気持ちが強いので、五輪を見て思い出したり、出たいなと思うことはなかったですね」と語る。

「一度スケートと離れてみたい、スケートを捨てようかなって・・・。スケートはお腹がいっぱいという感じでしたね」という心境から、この1年は一人旅に出かけたりしていたが、
行く先々で待っていたのは、心の支えになったと涙を流す熱心なファンたちだった。

「たくさんの方たちに『頑張ってね』と声をかけられて、すごくパワーをもらえました。自分に何ができるのかと考えた時に、やっぱり自分にはスケートしかないんだと。
そして、もう一度、感謝の滑りを伝えたいと思ったんです。5歳の時からともに成長し、歩んできたフィギュアスケートにも恩返しをしたいんです」

福島原発事故の被害地で出会った「スケートの原点」

新たな目標として見つけたのは、これまでにないスタイルのアイスショーだった。音楽から衣装、振り付けまでを自ら考案し、5月から披露するため、いまは公募で集めたスケーターたちと特訓中だ。
とくに力を入れているのは、観客との距離である。「お客さんにリンクの中に座ってもらう。テレビでは音とかスケーターが通るときの風は感じてもらえませんが、これだといろんなものが見られると思うんです」と熱心に説明する。

引退後、浅田の再スタートのきっかけとなったのは、原発事故の被害地、福島県川俣町だった。ここの山木屋地区では冬は田んぼに水を張って、即製の「田んぼリンク」で子どもたちはスケートに興じていたが、
原発事故で閉鎖状態に追い込まれてしまった。3年前に訪れた浅田は、管理人の菅野十一さんから「そのうち立派なスケート場を造りますから、ぜひ滑りに来てほしい」と誘われ、再会を約束していた。

その田んぼリンクがこの2月、避難指示解除を受け完成し、浅田は約束通りリンクの上で軽やかに滑った。「外の手作りのリンクでは一番滑りやすいですね。立派なスケート場ですよ」。
翌日には小中学生らが集まってスケート教室が開かれた。「私、教えるのが好きなんだと思いました。自分がスケーターとして滑れない状態になって、次は何ができるか考えた時、指導かなという思いが頭の隅にあるんです」

人生最後の夢は自給自足「イノシシ獲ってさばきたい」
夢も語った。「人生の最後の夢だけは決めているんですよ。自給自足の生活をするのが最終的な夢なんです。山に行って、狩りをしてイノシシとかをさばいたり、海が近かったら魚をとったり。
そういうことをしたいんです。すべてナチュラルで自由にのびのびとした生活がしたいんです」

浅田真央がイノシシを解体したり、魚を釣ってさばいたり・・・。まだまだ何かやりそうな人だ。

J-CASTテレビウォッチ / 2018年3月9日 19時52分
https://news.infoseek.co.jp/article/20180309jcasttv20184323271/