【サッカー】<平山相太の愛されすぎ“怪物伝説”>マクドナルド禁止、看板キック、投げキス(同僚から「キモい」と酷評)
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もしオランダでもう1年踏ん張っていたら、もしケガさえなければ……。
勝負の世界に「たら、れば」が御法度であることは重々承知しているが、そう思わずにはいられない。かつて“怪物”の名をほしいままにした平山相太が、12年半の現役生活にピリオドを打った。
32歳。プロ1年目の2005年に、「3大会連続出場を目指す」と目標に掲げたW杯の舞台に立つことなくスパイクを脱いだが、そのキャリアはまさに波乱万丈だった。
筑波大を休学('06年4月に自主退学)して、'05年8月にオランダ1部ヘラクレスに入団した。'05-'06シーズンは、デビュー戦となった同20日のデンハーグ戦でゴールを決めるなどチーム最多8得点を記録。11月20日のRBC戦では、華麗なテクニックでマークをかわして鮮やかな左足ボレーを決めるなど、強烈なインパクトを残した。
当時、ヘラクレスの監督を務めていたのが元ジェフ市原(現千葉)のボス監督。月2回程度のペースで、平山に個別で戦術レクチャーを施すなど自ら獲得に動いたストライカーを1人前に育てようと手ほどきをした。
“マック禁止令”なのにファストフード。
だが、'06年夏にボス監督がフェイエノールトに引き抜かれると、環境が一変する。'06-'07シーズンの始動日に平山が体重オーバーで姿を現すと、ブローノ新監督から激昂された。オランダの食事に馴染めずにファストフードに走り、クラブから“マクドナルド禁止令”が出されていた中での失態だった。
「やる気がないなら練習に来なくていい」
ゲキを飛ばしたつもりの強化担当者からの言葉を、戦力外通告と受け止めた。
当時は欧州クラブに在籍する日本人が少なく、周囲に愚痴をこぼせる相手はいなかった。孤立を深めて、'06年9月に退団。失意の帰国のはずが成田空港で「日本に帰って来られて、うれしい。日本が恋しかった」と笑顔で語り、大挙した報道陣を仰天させた。
投げキスに同僚から「キモい」と酷評。
天然か、計算か。堂々の“ホームシック宣言”が象徴するように、その言動がとにかく笑えた。'06年10月7日の名古屋戦でJリーグ初得点を決めた際は、ゴール後のパフォーマンスでスポンサー看板をキックして破壊した。
この一件でクラブから厳重注意を受け、パフォーマンスを「投げキス」に変更したが、伊野波雅彦、梶山陽平らチームメートに「キモい」と酷評された。この評判から封印を余儀なくされた際、“どや顔”でこう言われた記憶がある。
「みんなに相当“キモい”って言われました。僕は傷ついています」
実は注目を浴びて、してやったりだったのだろうか。
つづく
3/7(水) 17:01配信 ナンバー
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180307-00830117-number-socc
写真
https://amd.c.yimg.jp/amd/20180307-00830117-number-000-3-view.jpg 浦和戦を前に髪を赤く染めるとか……。
'06年11月9日にU-21代表の韓国遠征メンバーから落選した際は「焼き肉を食べたかった」と本筋からずれたところで悔しがった。
同25日には「気分転換。赤が好きなので」と、髪を赤く染めて練習に姿を見せたが、次節は浦和戦。相手のチームカラーだったため、当時の倉又寿雄監督は絶句していた。
ダイエット指令を受けていた'07年2月14日の練習後には、バレンタインデーにもかかわらずファンからチョコレートを1つももらえなかったが、「減量にはプラス」と強がった。なおヘラクレス退団後に「オランダ人は芋と草ばかりを食べている」と発言し、オランダ大使館から抗議を受けたこともある。
そして'08年2月にU-23代表の米国遠征から帰国し、成田空港内の売店に直行したときのこと。目当ての漫画雑誌を探し、「ない!」とショックを受けた後、ロス疑惑の三浦和義容疑者逮捕の記事が1面を飾ったスポーツ紙を見て、「え?」と呆然。
尊敬する横浜FCのFW三浦知良と人違いであることが分かると、「ロス疑惑? 知らないです。生まれてないもん……」と頭をかいた。
それでも平山は大一番で輝く男だった。
もちろん、ピッチ内でのインパクトも抜群だった。高校選手権歴代最多17ゴール、A代表デビュー戦となった'10年1月6日のイエメン戦でハットトリック、国立競技場で通算24得点。'09年11月3日のナビスコ杯(現ルヴァン杯)決勝の川崎フロンターレ戦で優勝を決定づける追加点を決めるなど、記録にも記憶にも残るゴールを積み重ねた。
高い期待値の裏返しで、ノーゴールに終わった試合では批判も集中した。反町ジャパンで結果が出なかった試合では、筆者も番記者としてプレー内容を問わず「平山、不発」と書き続けたが、本人からクレームを受けたことは1度もない。懐が大きく、常に自然体。飾らない姿を貫いてくれたからこそ、数多くの面白エピソードが生まれたに違いない。
小嶺総監督からの言葉を胸に仙台大へ。
平山が大切にしている言葉がある。
「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」
国見高卒業時に小嶺忠敏総監督から贈られたもので、徳行が深まるほど、その人柄や態度が謙虚になることの例えだ。高校時代にゴールを量産して、若くしてスター扱いされた。自分を見失いかけた時に恩師から渡されたメッセージ入りの手紙は、今も大切に保管している。
今後はプロの指導者を目指して仙台大に進学する。教員免許、指導者ライセンスの取得に力を注ぐ。
3月3日のFC東京vs.仙台戦後に行われた引退セレモニー後の会見でのことだ。平山は自らのチャントが16歳の久保建英に受け継がれていることに対し、「恐縮ッス」と反応して報道陣の笑いを誘った。最後まで“相太節”は健在だった。
規格外のプレーと予想外の言動で周囲を魅了し続けた長身FW。誰からも愛されるキャラクターを生かして、既存の枠にとらわれない新たな指導者像を築いてくれると信じている。 いくらスポーツ選手だとしても馬鹿だと大成できないというよい見本。 どことなく漂うサイコパス感
って思ってたけどなかなかのやべー奴やったやな 日本サッカー史上本当に怪物を名乗っていいのは小倉だけ 大学行った時点で大成しないと思った
投げキッスはただただキモかった >>8
小倉が留学したエクセルシオールは2部だしな ひらやまー、ひらやまー、ひらやまー、ひらやまー、
ひらやまー、ひらやまー、ひらやま、ひ・ら・や・まー 日本代表戦でハットトリック決めたこと覚えてる奴なんて少ないだろうな
アジアカップの予選落ちをこれでまぬがれたのに 記録より記憶に残る選手とはこいつのことだと思う。
エリ首引っ張られながら鼻くそほじってたのはインパクト大だったよな メンタルはすごかったよ
皆が顔ひきつってプレイしてるのに一人ヘラヘラして鼻くそほじってるから
大舞台向きだったけど印象悪いから干されたけどな 親の育て方が間違わなかったろ本当に怪物になれたかも知れないね 平山「ロン毛にしたい」
大久保「アホかよw」
これも追加で >>8
今のバカさを見てると才能だけではトップ選手にはなれないんだなと納得 芋と草って、もしかしてじゃがいもと大麻ってこと?
オランダやばいなw 活躍してもまったく伝わってこない人、風評被害というもばかばかしいほど黙殺で遇された人、という印象。頭を垂れてもまったくの無意味になることもある これだけマイペースな逸話持ちならもっと活躍してても不思議じゃないんだが
ただの天然なだけで無神経でも図太とくもなかったってのが平山の勿体なさだったな エピソードだけ聞くとどこの素行不良のブラジル人だよ!って感じる >>33
思い出したわwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww J2下位とかのサポーターが平山獲得ってなってたら踊ってたろ? ワールドユースでゴールしたが点差がまだあって負けてる状態なのに
ゴールセレモニーやろうとする天然メンタルだからな セルジオ「まーだヒラヤーマが上手くなると信じてるの?海外じゃぜんぜーんワカテじゃなーいよ」 真面目なNumberにここまでボロクソに書かれるって相当だな 平山の母からは会うたびに「なんで相太ばっかり、点取れなかったら新聞に
『ノーゴール』とか『不発』って書かれるの?」と“クレーム”が来るほど「不発」の原稿を書いた。
http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20180127-OHT1T50085.html オランダ大使館に抗議されたのってオランダ語の事じゃなかったのか
オランダ人は芋と草ばかり食べてるって怒られるのも分かるな >13 あそこはフェイエノールトのサテライトだから 長崎で再起を
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