昨年9月、代表決定戦に勝ち、平昌五輪代表を決めたロコ・ソラーレ北見(以下LS北見)の主将・本橋麻里についての記事を出した。

「カーリングの変態」本橋麻里の献身でつかんだLS北見の五輪キップ

 当初、僕がつけたタイトルは「マリリン、3度目の五輪へ。勝負を分けた献身」という、確かに平凡なものだった。
 編集部はそれに対して、上記を提案してきた。確かに「変態」という言葉はキャッチーこのうえない。
ただ、アスリートに、それも女性に、そんな言葉をぶつけるのはいかがなものか、という葛藤もあった。

 それでも記事の内容は、彼女の努力やチームの勝因について言及した悪いものではないという自負もあった。
何よりも多くの人に読んでもらいたいという下心もあったので、結局、編集部の提案に乗った。

記事は、おかげさまで多くの人に読んでいただいたようだった。ネットの掲示板やコメントは玉石混淆なので、書き手として気にしないようにしているが、
このときばかりはちょっと気になっていた。本橋の夫・謙次さんのコメントを使ったからだ。
昨秋から五輪前後にかけて複数のメディアが彼に接触を試みたが、「僕はカーリングのことはわかりませんので、ごめんなさい」と、
丁重に固辞し続けていた。僕も縁あってお会いすることができたが、取材は同様にやんわりと断られていた。

最も端的に本橋麻里というカーラーを表現していたので、どうしても使いたかった。つまり、無断で確信犯的に書いた。
編集部や読者からの評判は概ね悪くなかったのだが、小心者な僕はそれだけに罪悪感と恐怖を抱えた。
本橋と旦那さんは気分を害していないだろうか。

 震えていると、なんと本橋麻里本人からメールで連絡をいただいた。

「記事を読んだ友人から『やっぱり変態だったんだね(笑)』と連絡もらいました」 とあった。やはり人々は「変態」に食いついている。

「私は変態ではありません。ど変態です(笑)」 全身の力が抜けた。

「素敵な記事、変態の称号、ありがとうございます。改めて、私は周りに生かされてる人間だなぁと感謝しかありません」

しばらくPCの前から動けなかった。目元を拭(ぬぐ)ってから、「ああ、こういうところだなあ」と確信した。
“クソガキ”と自称する鈴木夕湖や、先に五輪を知った姉にコンプレックスを抱いていた吉田夕梨花、その五輪を経験しながら居場所を失った吉田知那美、
勝てない責任を負いすぎたスキップの藤澤五月。

クセが強く、傷を持ったメンバーが彼女のもとに集い、「麻里ちゃんにメダルをかけてあげたい」と、もがきぶつかりながらも、ひとつになった。
日本は現在、カーリングフィーバーだ。その中心にいる本橋は喜び、まずは感謝の言葉を口にしながらも、これからのことを強調した。

 彼女らは本橋のカーリングへの思いを肌で知っている。本橋はスポンサー集めに走り、誰よりもアイスに乗り、トレーニングは欠かさない。
「内側からチームにいいプレッシャーをかけたい」と公言する。

 本橋とともにチームを立ち上げた馬渕恵さんも、「あのマリリンが、大きくなりましたよね。いろいろなものを腹に飲み込んでチームに尽くしているんですもん」と、泣き笑いで教えてくれたこともある。
 本橋のその思いは銅メダルという形として結実した。

「もぐもぐタイムをきっかけに、さらにカーリングにのめり込んで、戦術等も練りに練ってやっているので、そこに注目してもらえるとありがたいです」

 五輪でさえ、メダルでさえ通過点。”ど変態”のカーリング・マーチはまだまだ続く。

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