2/22(木) 18:10配信

 俳優の大杉漣さん(享年66)の訃報は、芸能界、ファンに大きなショックを与え、余波がとまらない。21日午前3時53分、急性心不全のため66歳で死去した。20日に千葉県内でドラマの撮影後に不調を訴え、病院で亡くなったという。同日報道が出てから、テレビ番組やメディア各社、芸能人仲間、関係者、ファンから大杉さんを悼むコメントが続出してとまらない状況だ。そしてそのどれもが、大杉さんの人間性を称えている点がより哀しみを誘い、印象深い。

 筆者は、大杉さんとはたった一回、しかも時間にして30分程度しかお会いしたことがない。昨年春、ドラマ「緊急取調室」(テレビ朝日系)に関する取材がその“一回”だったのだが、それがそのまま最後の取材となってしまった。とうてい、大杉さんに関して何か語れるような立場ではないのだが、その“一回”の印象が取材者として強く心に残っているので、どんな印象を受けたのか哀悼の意を込めて振り返ってみたい。

 あの日は、ともに百戦錬磨の刑事を演じる小日向文世さん、でんでんさんと3ショットでの話を聞いたのだった。

 当時、3人足して195歳ということで、大杉さんは「おじさんばっかりで、なんか同窓会みたいだよね」と笑っていた。メイクの分を割り引いて考えても、血色もよく肌も60代半ばには見えない張りと艶があって、健康そのものという印象を受けた。小日向さんも「お二人とも元気なんですよ。だから、現場でのおしゃべりも楽しい」と、みな元気であることを楽しそうに話していた。実際、目の前の御三方は本当に楽しくてたまらないといった感じで、限られていたインタビュー時間がこのまま雑談で終わってしまうのでは?と心配になったほどのテンションだったのを覚えている。

 このときの大杉さんの言葉で印象に残ったのが、次の言葉だ。

 「僕は割と人生だらっとしていたほうがいいとか、物事あいまいなほうが面白いとか、そういうことを平気で言う人間で。いまの時代って、白黒はっきりさせないとダメみたいで、はっきりさせたら安心してどっかいっちゃうみたいなところがあるけど、こういう仕事はそうじゃないから。白黒はっきりできないから、それを追い求めている」

 時間にしてほんの数十秒の間に、大杉さんの余裕のある人生観や優しさ、仕事観が凝縮されているような言葉を聞くことができて感激したし、筆者のような、懇意にしているわけでもない取材者にも終始、親切で感じのよい対応をしてくださった。いや、対応というより、大杉さんご自身がそういう方なのだろう。この日は早めに現場に到着したのだが、テレビ局スタッフと通路で雑談していた大杉さんは、エレベーターから現れた見ず知らずの私に気づくと雑談をわざわざ一時中断してまで「お疲れさまです」と、あの感じのよい笑顔で会釈してくださったのだった。一介の、面識もない取材者に対してでさえそうなのだ。おそらくはすべての人に対して、こういうふうに礼を尽くす方なのだろうと悟った。


 いつか、じっくりお話をうかがいたい役者さんだなと思っていたのだが、まさかそれから1年も経たないうちに亡くなってしまうとは予想だにしなかった。取材を通して肌で感じた人間性の豊かさが、まだあたたかい記憶として残っているため、親しく接していた方々が大杉さんの人として役者としての器の大きさや人間性を称えるコメントを発表するたび、その一つひとつが社交辞令的なものではなく心から出されているコメントなのだなと納得がいく。

 芸能界には、キャリアも実績もなくても、どこか勘違いしてしまう人も少なくないなか、脚本さえ良ければ学生監督の作品であっても手弁当で出演したという大杉さんの器の大きさは、感動的でさえある。サッカーの無類の愛好者であり、1991年に発起人として立ち上げたという草サッカーチーム「鰯クラブ」も、サッカーが好きでさえあれば参加可能とし、試合があるたび大杉さんを慕って多くの人々が集まるため、実際に試合に出てプレーするにはなかなか大変だったとか。

 付き合いの深度に関わらず、とにかく多くの人の心を捉えてしまう大杉さん。その場にいる人たちを笑わせてくれる気さくでおおらかな人柄であったことがうかがえる。

 亡くなる前日は、出演中のドラマ「バイプレイヤーズ」(テレビ東京系)のロケで夜9時ごろまで共演者と千葉県内で仕事をしていたという。宿泊先に戻り、食事後に自室に戻ってから腹痛を訴え、病院へ。共演者と妻にみとられながらの最期となったそうだ。

 一期一会で強い印象、それも心地よい印象を残す大杉さんは、俳優の鑑といえるのではないか。

(THE PAGE)- Yahoo!ニュース
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