五輪「日本大躍進」報道のウソ、日本がメダル量産国になれない理由
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180222-00160841-diamond-soci

 平昌五輪を巡る報道にインチキが散見される。日本はメダル量産国ではないのに、見出しに「メダル量産」の文字が踊り、競技人口が少ない種目なのに「戦力が厚みを増している」との解説も。戦中の大本営発表にそっくりな報道に慢心するばかりでは、不足している競技人口の増加や選手サポート体制強化という、本当の量産国になるために必要な課題を見えなくさせる。(ノンフィクションライター 窪田順生)

● 日本は「メダル量産国」ではない マスコミ報道のインチキぶり

 なぜこの国のマスコミは、アスリート個人の功績を「日本の功績」にすりかえようとするのだろうか。

 ご存じのように、テレビや新聞では朝から晩まで、メダリストたちの感動の瞬間をレポートしている。彼らの素晴らしいパフォーマンス、これまで歩んできた苦難、支えてきた周囲の方たちの絆を知って胸が熱くなった、という方も多くいらっしゃることだろう。筆者もまったく同じ思いだ。

 が、そのような個人にスポットライトを当てた報道に紛れ込ませるような形で、読者や視聴者が「日本ってすごいんだな」と錯覚してしまう、かなり盛りに盛った話があふれているのは、見ていて不安しか感じない。日本人を気分良くさせるためには多少の行きすぎたハッタリをかましてもお咎めなし、というあまり褒められない環境になってしまっているからだ。

 たとえば分かりやすいのが、先日の産経新聞だ。

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● 「大本営発表」と見まがうばかりの 欺瞞あふれる自画自賛報道

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● 「日本すごい」報道が スポーツ振興の邪魔になる理由

 だが、なぜか日本のマスコミでは、そのような「個人」を讃えながらも、ちょいちょい「日本メダル量産」とか「戦力の厚み」なんて言葉を用いて、「日本全体が成し遂げた偉業感」をぶっこんでくるのだ。

 「すごい」と評価されるべきは、小平選手であり、彼女の夢を支え続けた相澤病院や、スピードスケートの関係者という「個人」であり、「日本」がすごいわけではないのだ。メダルの数と色ばかりにこだわっているマスコミによって、それがいつのまにかごちゃまぜに語られるようになってしまうのだ。

 そんな屁理屈こねて面倒くさいヤツだなと思われるかもしれない。ただ、なぜ筆者が個人の功績を「日本の功績」とごちゃまぜにしてはいけないとここまで強く主張をするのかというと、マイナースポーツが今まで以上に衰退してしまうからだ。

 たとえば、今日にいたるまでのテレビ・新聞の平昌五輪報道で、みなさんはどれくらいの日本代表の名前を覚えただろうか。特に熱狂している方でなければ、メダルを獲得した8人にプラスして、レジェンド・葛西紀明さんや、フィギュア男女、「カー娘」くらいで、ざっと20人ほどではないか。

 しかし、平昌五輪で戦っているアスリートは124人いる。マスコミは「がんばれ日本!」と絶叫しているわりに、ほんのひと握りのアスリートの活躍しか報じていないのだ。

 つまり、アスリート個人の功績を「日本の功績」と混同してしまうと、どうしてもメダルの数や色に国力を重ねて、増えた減ったと大騒ぎする五輪報道に終始してしまうのである。

 これはサッカーW杯と同様に「愛国エンターテイメント」なので、「にわかファン」は瞬間風速的に増える。だが、その競技の面白さや、アスリート個人のパフォーマンスの偉大さを伝えているわけではないので、本当のファンは定着しない。当然、競技者人口も増えず衰退していくというわけだ。

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● 選手個人のがんばりを ナショナリズムに利用するな

 ひたすら個人にのみがんばらせるという、ブラック企業のような発想で、スポーツ振興などできるわけがない。

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参考
窪田順生 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AA%AA%E7%94%B0%E9%A0%86%E7%94%9F
>窪田 順生(くぼた まさき、1974年[1] - )は、日本のノンフィクションライター。
>東京生まれ[1]。学習院大学文学部卒業[2]。フライデーの記者を務めた[2]後、30歳で朝日新聞に入社

前スレ
【元朝日新聞・窪田順生】「日本すごい」報道がスポーツ振興の邪魔になる 選手個人のがんばりをナショナリズムに利用するな★2
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