0029名無しさん@恐縮です
2018/02/14(水) 22:37:09.56ID:9UISG+E50あるが、私は べきこと だと思えてならない。はばかってくれよ、と思う。
だって、ほんとにここ数年で、特にスポーツ絡みの「感動」はとてつもない快楽に直結
することを学んでしまった上でのそのシュプレヒコールは「私をキモチよくさせて」という
意味でしかないわけである。…「感動させてくれ」と叫ぶ善男善女の方々のほとんどは、自分が
キモチよくなりたくて叫んでいることに気づいていない。
「頑張ってお国のためにメダルを取って来い」というエゴイズムを悔い改めた正義が「感動させて
くれ」だと思っているのである。
(ナンシー関『何が何だか』角川文庫 2002年)
このあと、ナンシーは、「メダルを取って来い」も「感動させてくれ」も、どっちもエゴだと切り捨てる。
まったく慧眼である。彼女のこの冷静な視線は、かつては「あたりまえ」のものとして人々に
共有されていたように思えるのだが、いまどきのニッポンの大衆は、なぜこんなにも
「感動させてくれ病」に身を捩じらせてしまっているのだろうか。
それとともに考えてみたいのは、「感動させてくれ病」の人々が「感動」できないと爆発させる行動だ。
ものを投げつけるは、ぶっ壊すは、「2ちゃんねる」で悪罵を投げつけるは…。
『感動禁止!「涙」を消費する人々』KKベストセラーズ