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町工場が本気を見せる国産初のボブスレー

細貝「夢があるじゃないですか。町工場がものを作って、オリンピックを
目指すって。長年ものづくりに携わってきた我々にとって、それは賭けるに
足る夢でした」。

町工場の開発力を世界に示す

そもそも「下町ボブスレー」のはじまりは、行政の働きかけだったという。
大田区産業振興協会の奥田耕士氏が語る。

奥田「『大田区を盛り上げたい』という狙いのもとに行われた職員提案制度に、
若手職員が応募したのがきっかけでした。アイデア賞を受賞したのが、『日本製
のボブスレーを作り上げ、オリンピックを目指す』という内容のものだったの
です」。

「撤退」の2文字はない

全てが順風満帆なわけではなかった。当初の大きな目標だった、2014年のソ
チ五輪日本代表から、「下町ボブスレー」製作のボブスレーが不採用になったと
の知らせを受けたのだ。

日本代表から2度も不採用通告を受けたが、撤退の2文字がメンバーから出てく
ることはなかった。

細貝「私から『それでも続けよう』と強制したことはありません。必ずメン
バーに『どうする?』と聞いています。みんな、本業があるなかで協力して
くれているから当然のことです。でも、みんなは『やるべきです』と答えて
くれる。技術に自信のある人たちの集団ですから、何か壁にぶち当たっても、
『では、どうやったら超えられるのか』を常に考えてくれているのです」。
「下町ボブスレー」は、いずれのメンバーも諦めない腹のくくり方をしている
という。

國廣「『下町ボブスレー』が他と違うのは、お金が発生しないことです。
みんなでモノを作って、儲けを分担しようというプロジェクトではない。
基本的に無償でボブスレーを作る、いわば持ち出しの集団なのです。
だから、お金でもめることが少ない。むしろ、自分たちが作った最高の
ボブスレーで自社の名前を売る方が主眼なのです」。

その熱意が通じたのが昨年のこと。国内がダメなら海外で、と交渉を重ねた
結果、ジャマイカの代表チームに「下町ボブスレー」が製作したボブスレー
の採用が決定したのだ。

細貝「いい技術を持っていたとしても、開発には熱心だけど、PRはそっちのけ
という町工場は多い。『下町ボブスレー』では大田区の技術力を世界に発信す
るという目的があるから、みんな出し惜しみなく技術を披露してくれる。
『こういうやり方があったのか』という発見がいくつもあった。だから、
参加している町工場のみんなにとって、技術の底上げにもつながっているのです」。