石ノ森章太郎
初期の回覧用同人誌か 元アシスタント実家
毎日新聞2018年2月3日 10時54分(最終更新 2月3日 11時18分)
https://mainichi.jp/articles/20180203/k00/00e/040/219000c

石ノ森章太郎が主宰した「墨汁一滴」第4号とみられる冊子=和歌山市内で2018年1月14日午後4時46分、阿部弘賢撮影
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新たに見つかった石ノ森章太郎の原画を手にする大瀬克幸さん=和歌山市古屋で2018年1月14日、阿部弘賢撮影
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「サイボーグ009」「仮面ライダー」などの代表作で知られる漫画家、石ノ森章太郎(1998年に60歳で死去)が高校時代、仲間に呼び掛けて創刊した回覧用同人誌「墨汁一滴」とみられる1冊が、石ノ森の元アシスタントの実家から見つかった。デビュー前後の石ノ森や赤塚不二夫らが各号1冊のみで全10号まで作ったが、一部の行方が分かっていなかった。本物と確認されれば半世紀ぶりとなる。

発見したのは、和歌山県紀美野(きみの)町の大瀬克幸さん(69)。冊子はA5判ほどの大きさで、約40ページ。「墨汁一滴 第四号」のタイトルや、「昭和30年」の発行年が記され、石ノ森の旧筆名「石森章太郎」、赤塚不二夫の名前も確認できる。牛のイラストをあしらい、墨汁一滴をもじったとみられる「牧場一敵」や、「みにくいアヒルの娘」など国内外の名作のパロディー作などを収録。表紙などに変色や傷みはあるものの、内部の状態は良好で、作者の筆致や鮮やかな色彩が残っている。

大瀬さんは高3の夏休みに約1カ月間、東京の石ノ森の事務所で手伝い、卒業後、67年9月までの約半年間、アシスタントとして働いた。

大瀬さんによると、ある時、エアコンが故障して原画などが汚れたため、石ノ森からそばにあった原画や書類を捨てるよう指示され、頼んで譲ってもらったという。詳しく中身を確認しないまま段ボール箱に詰めて九州の実家で保管していた。数年前に実家を整理していた時に段ボール箱が見つかり、中から墨汁一滴とみられる冊子のほか、手塚治虫の作品を模写した石ノ森の中学時代の冊子や原画など約30点が出てきたという。

墨汁一滴の流れをくむ同人誌「墨汁三滴」に参加し、石ノ森にも師事した漫画家、すがやみつる・京都精華大教授は、冊子の一部を写真で確認し、本物の可能性が高いと指摘。その上で「石ノ森先生の若き日の修練の跡をうかがい知ることができる貴重な資料。絵や手描きの文字も端正で、同人誌を回覧していた手塚治虫先生の目も意識して真剣に取り組んでいたようだ」と話している。

今年は石ノ森の生誕80年、没後20年の節目で、大瀬さんは「これほどうれしいことはない」と話す。石ノ森の作品を展示する石ノ森萬画館(宮城県石巻市)への寄贈を打診している。

◆【ことば】墨汁一滴

石ノ森章太郎が1953年、漫画雑誌の投稿仲間らに呼びかけて回覧用同人誌として創刊。60年までの間に1〜10号まで1冊ずつ作られ、手塚治虫らも批評を寄せた。誌名は、俳人・正岡子規の同名の随筆集にちなんだとされる。石森プロ(東京)によると、10号までのうち、6冊を同社が保管しているが、4号を含めて他4冊は実物の行方が分かっていない。