それではナタリー・ウッド溺死事件の顛末を述べる。悲劇が起きたのは81年11月29日未明。ナタリーは夫ロバート・ワグナー、当時撮影中だった映画『ブレインストーム』の共演者クリストファー・ウォーケンと共に、
サンタカタリナ島沖に停泊したヨット「スプレンダー号」で、感謝祭の週末を過ごしていた。
同乗者は他に船長のデニス・ダバーン氏である。
 3人はレストランで飲食をした後、「スプレンダー号」に戻るのだが、3人ともワインをしこたま飲んでかなり酔っていたらしい。
だがワグナーとウォーケンとの間には微妙な距離があり、最近『ディア・ハンター』等で頭角を現してきたウォーケンに対してワグナーは俳優としての嫉妬を感じていた。
一方、ナタリーはウォーケンにささやかな好意を寄せていた。

 「スプレンダー号」に戻った後、ワグナーとウォーケンは真夜中まで激しい“議論”を交わした。ふと気がつくと独りで真っ暗な甲板へ出たナタリーがいない。
船長のダバーン氏は午前1時半頃になって、彼女の捜索を依頼した。
ナタリーは翌30日未明になって、「スプレンダー号」から1.6km沖合いで、うつむけ状態の遺体となって発見された。
全身はアザだらけで、近くにはゴムボートが浮かんでいたと言う...。

 誰も見ていない間にヨットから転落、その後に彼女は近くで水死体となって発見されたという経緯に不審を抱いた地元警察は当初、ワグナーとウォーケンの2人を重要参考人として検挙したものの証拠不十分で不起訴となった。
結局、ナタリーは「スプレンター号」に備え付けのボートで海に出た後、滑って転落した事故死の可能性が高いとして捜査を終了したのである。
 しかし彼女は子供の頃から水恐怖症であった。そんな彼女が自ら進んでボートで沖合いに出る筈がない。現に泳げないナタリーが着用していたのはナイトガウンと水を吸収し易い厚手のジャケットだった...。
当時、担当検視官等に口外禁止令が出されたこともあり、未だ証言されていない真実があるのではないかと様々な憶測を呼んだ。
マスメディアはこの3人の関係をまことしとやかに流し、夫ワグナーを疑った。しかし地元警察は否定した。
それでもこの溺死事件は他殺の噂が絶えず、真相は謎とされている。