過去の小林よしのり コラム

●説明責任の美名に隠れてリンチが行われる

豊田氏が議員を続けたければ、選挙で国民に判断してもらえばいいだけのことで、
文芸春秋に手記を書いても、記者会見しても意味はない。

人々は「記者会見しろ」とか「説明責任を果たせ」とか言うが、
その本心は「もっとリンチがしたい」というだけのものである。

「大衆の前で恥をかかせたい」「死ぬまで石を投げたい」と思っているのだから、
「説明責任」なんかまったく意味がない。
(略)
豊田氏が自殺したら大衆は一時期、居心地が悪くなるだろうが、すぐ忘れて次の獲物を探す。
そのくらい大衆というものは手がつけられない。

民主主義を正しく機能させるために、「説明責任」は必要な場面があるが、必ずしも絶対条件ではない。
だが、大衆にとっては、もはや「民主主義=説明責任」という短絡的思考に嵌り込んでしまっていて、
「リンチへの欲望のための説明責任」を唱えていることが多い。
民主主義は病いを抱え込んでいる。