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横綱は寡黙でいるべき、という虚しい理想像
 虚実ない交ぜの差別的な報道を繰り返したのは、週刊誌やテレビの
ワイドショー的な番組だが、私は一般紙のスポーツ面の責任も小さくない
と思っている。
 例えば、昨年11月30日付の朝日新聞では、事件を総括する記事で、
白鵬が九州場所の千秋楽にインタビューの後で「日馬富士関と貴ノ岩関を
再びこの土俵に上げてあげたい」と述べ、万歳をしたことを指して、相撲協会の
ガバナンスに問題があり、「白鵬の言動にも歯止めをかけきれない」とした。
 だが相撲ファンの私には、協会のガバナンスに問題があって真相解明
できずに迷走しているから、白鵬はあのような発言に及ぶことになったんじゃ
ないか、あれはファンと力士のための発言だろう、と思えた。
 白鵬についてファンの目線に立ってみることをせず、まるで横綱審議委員
会でもあるかのような目線の高い批判を繰り広げることで、

差別主義者たちによる白鵬バッシングを招くことになった責任の一端を、

一般紙のスポーツ面は負ったと思う。
それは初場所初日についての報道にも現れている。
 いつもより多い報道陣が注視していたのは、白鵬が立ち合いに張り差しを
するかどうかだった。1月15日の朝日新聞は、「結びの仕切りの間、観客から
『かちあげはダメだぞ』『張り手もだ』と声が飛んだ」と書いている。購読している
朝日新聞の例ばかりになるが、他紙も同様である。
 むろん、そのような観客もいただろう。だが、私の実感では、そんなことは
どうでもよくていい相撲が見たい、と思っている人のほうが多かったと思う。
 なぜなら館内の白鵬の声援は厚く、白鵬ファンで張り差しはいけないと
思っている人はごく少数だからである。

 白鵬ファンからすれば、不祥事の中で横綱審議委員会から不祥事と無関係の
取り口の注文をつけられたのは言いがかりだ、という気分のほうが強い。

その気分に根拠があることは、少しずつ証明されている。
 二子山親方や藤島親方など、白鵬の張り差しは特に問題ない、と語る
親方もいるし、2日目のNHKのテレビ中継では、藤井康生アナウンサーが
「張り手と張り差しは区別していく必要があるかもしれませんね」と語り、
解説の舞の海さんも、張り差しは過去の横綱も普通にしていた技で一緒くたに
されてはたまりませんね、と同意していた。
 また、境川親方は3日目のNHKテレビ中継の解説で、白鵬のカチ上げは
肘打ちであってカチ上げではない、批判されているのはその点だということを
理解してほしい、と述べている。つまり、張り差しは問題ないということになる。

 私が言いたいのは、横綱が張り差しをすることが本当にいけないのか、
その前提を検討することもなく、横綱審議委員会が苦言を呈したからといって
そのまま白鵬批判の理由にしていいのか、ということである。
 場所が始まってから、張り差し自体が悪いわけではない、と急にいろいろな
親方が言い出すなんて、
この競技にきちんとしたルールはあるのか、と問いたくなる。

 専門家であるスポーツ面の相撲担当記者こそが、本当はその恣意性を
問題視すべきではないのか。
 白鵬が自分の過ち以上に過剰に叩かれ続けるのは、白鵬が相撲界では
極めて異例な、物言う横綱だからだろう。
 これまでその言動が物議を醸し、差別を受けてきたのは、小錦、朝青龍、
白鵬と、いずれも物言う外国人力士である。
 力士、特に横綱は寡黙でいるべきだというのは、もはや過去の日本男性の
虚しい理想像にすぎない。
 相撲協会にも相撲記者にも、現代にふさわしい相撲の姿を最も熱心に考え
試行錯誤している白鵬と、もっとともに文化を作り上げる姿勢を取ってほしい。