ふーん高級ホステスだったお前の どこが上流だよ

生い立ち
東京府東京市麻布区霞町(現在の東京都港区西麻布)に
父・兵七郎と母・政子の間に生まれる。
父は麻布区霞町界隈の大工であり、弟が1人いた(八曾男)。
家庭は裕福ではなく多額の借金をしていた。
15歳だった1955年(昭和30年)、新東宝制作の映画『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』にエキストラ出演。
中学卒業後は、東京都立三田高等学校定時制部に進学すると同時に、
150倍の難関を突破して千代田生命保険(現・ジブラルタ生命保険)に入社したが、
昼休みや休日にも貧しい家計を維持するため、喫茶店などでのアルバイトを掛け持ちし続ける日々を送った。
1956年に父が亡くなった事に伴い高校を中退した後、
赤坂の有名高級クラブ「コパカバーナ」で働く。
1959年(昭和34年)、19歳のときに、インドネシアへの開発援助に伴い
「東日貿易の秘書」という名目で、スカルノ大統領のもとに送り込まれた。
この一件に当時「昭和のフィクサー」と呼ばれた暴力団関係者の児玉誉士夫が関わっていたとされる