【星野の記憶】宇野勝氏 あの“ヘディング”の試合後「飯でも食いに行こうや」
星野の記憶5〜語り継がれる熱き魂〜元中日・宇野勝氏
2018年1月12日 10:00 スポニチ Sponichi Annex 野球
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1981年8月26日の巨人戦7回、山本の飛球を頭で受ける宇野 Photo By スポニチ
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宇野勝氏 Photo By スポニチ
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選手でも監督でも一緒にやっているので、思い出はたくさんある。やっぱり一番は皆さんもご存じのように、あのヘディング(※)ですよ。ただ、あの後も面と向かって怒られたことはない。グラウンドではああやってグラブを叩きつけていたけどね。後楽園ではいつもベンチで隣に座っていたんだけど、何か言われたという記憶はない。それよりもその後「飯でも食いに行こうや」と誘ってくれたことをよく覚えている。

それ以前にもナゴヤ球場から「飯行くぞ」と誘ってもらった時に、星野さんの車に追突してしまったことがあった。その時もこっちは冷や汗だけど、冗談を言ってフォローしてくれた。「おまえはエラーが多いから」とグラブをもらったこともある。年齢も一回りぐらい違うし、本当に気を使ってもらっていた。

94年オフに中日監督に復帰してほしかったとは今でも思う。僕がちょうどロッテを辞める時に声をかけてもらった。秋口に電話をもらって「おまえ、まだやる気あるか?」と聞かれた。まだ36歳だったし「やります」と答えた。ただ「10・8」があって、世論が「もう1回、高木さんがやってくれないか」というふうになっていた。10日後ぐらいにまた電話があり「俺はもうやらない」と言われた。僕も中日で現役を終えたい気持ちはあったし、星野さんも気遣ってくれていたんだと思う。

殿堂入りを祝う会の前にあいさつしたら「誰だっけ?」と冗談交じりで返してこられて、握手した。亡くなられたと朝のニュースで知った時は「冗談だろ」と思ったよ。前から体調のことを知っていれば心の準備もできたけど、1カ月前に握手したばかり。本当にまだ実感が湧かない。

(※)中日・星野は81年8月26日の巨人戦(後楽園)で先発。2―0の7回2死一塁から山本の飛球が遊撃後方に上がった。宇野はこれを捕れず、右側頭部に当たって大きくはねたボールはグラウンドを転々。連続得点記録が158試合で止まる危機だった巨人に1点が入った。星野は完投で勝利投手になっている。

≪幻の第2次政権≫87〜91年、96〜01年の2期にわたって中日の監督を務めた星野氏には「幻の第2次政権」がある。プロ野球史上初めて同率首位のチーム同士が最終戦で直接対決した94年の「10・8決戦」。中日の高木監督の解任、星野氏の2度目の就任が内定していたが、巨人に対する終盤戦での驚異的な追い上げで世論が高まり、急転続投が決まった。星野氏が監督になれば中日に復帰するはずだった宇野氏の移籍は白紙。そのまま現役を引退した。

◆宇野 勝(うの・まさる)1958年(昭33)5月30日、千葉県生まれの59歳。銚子商から76年ドラフト3位で中日に入団。92年オフにトレードでロッテに移籍し、94年現役引退。強打の大型遊撃手として84年に37本塁打で阪神・掛布とともに本塁打王。通算1802試合で打率・262、338本塁打、936打点。右投げ右打ち。