野村克也氏「もう叫んでも、何をしても居ない」 妻・沙知代さんを見送り“男の弱さ”痛感
2017.12.30 16:11
http://japan.techinsight.jp/2017/12/miyabi12301134.html
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野球評論家・野村克也氏が29日放送の『ニュースキャスター 超豪華!芸能ニュースランキング2017決定版』(TBS系)で、
8日に虚血性心不全のため急逝した“サッチー”こと妻・野村沙知代さんとの30年余りの結婚生活を振り返った。

野村克也氏によると前妻の浮気が原因で別居中だった頃、行きつけの中華料理店で沙知代さんと出会ったという。前妻との離婚が成立しないまま同居を始め、
1973年には克則氏(元プロ野球選手)が誕生したが公になることはなかった。しかし1977年に週刊誌が不倫スキャンダルとして、沙知代さんの存在を明らかにする。
「愛人が打順にまで口を挟んでいる」などの報道もあり、球団内部からも批判が相次いだ。
当時、南海ホークスの監督・選手を兼任するプレーイングマネージャーだった野村氏は窮地に立たされ、同年9月にシーズン終了まで2試合を残して解任された。
野球界に戻れなくとも沙知代さんを選んだ野村氏に、「何とかなるわよ」と彼女はまるで動じなかったという。その沙知代さんの言葉通り翌年、ロッテオリオンズに選手として移籍。
1979年からは西武ライオンズでプレーし、1980年に引退。プロ野球解説者を経て1990年からはヤクルトスワローズ 、そして1999年から阪神タイガースで監督を務める。

その野村氏がヤクルトの監督を務めていた1996年、毒舌が大人気となりタレントとしても活躍していた沙知代さんが新進党公認候補として衆院選に立候補した(落選)。
その際、選挙公報などに「コロンビア大学留学」など虚偽の経歴を公表していたことが大問題になる。
この「コロンビア大学留学」ついては野村氏自身も沙知代さんからそう聞いており、英語も堪能だったことから全く疑っていなかった。
彼女の学歴詐称が明らかになっても「嘘をついてでも、俺をゲットしたかったんだな」と捉え、世間やマスコミから沙知代さんが猛批判されても夫婦の絆が切れることは無かったそうだ。